(1)はじめに
論語をもっと身近なものに、気軽に声を出して読めるものに。
日本語の読み書きができる人なら、つまり、小学生程度の国語の読解力のある人なら、専門に勉強した講師などいなくとも、いつでも・どこでも・誰でも気軽に楽しめる「論語読本」を書いてみたいと常々思っておりました。
そこで、「論語に学ぶ会」創設以来20年以上一緒に学んできた同志の中から、赤羽良樹氏を選定委員長として、約20名の選定委員の審査を仰ぎ、「今から300年先でも立派に通用すると思われるものを選ぶ」と云う選定基準の下で、丸6年半かけて、論語全510章の中から344本を選び出し、更にその中から200本を選り抜き「街角論語200選」をつくりました。
(2)論語ってどんな書物?
論語はどう云う書物なのか?と申しますと、2500年前、春秋時代の末期に、孔子と弟子達や要人達との間に交わされた対話の記録をまとめたものであります。
孔子は30才の頃に私塾を開設し、弟子をとり始めます。晩年には弟子の数三千人とも五千人とも云われており、さながら学校のようなものになっておったようです。孔子が授業として弟子たちに教えたのは「礼楽」でありまして、論語を教えた訳ではありません。論語とは読んで字の如く、論じ語る、つまり、授業の合間や、日常の生活の中、或いは旅先で弟子たちと何気なく交わした会話を記録したものなのです。
孔子が亡くなってからしばらくして弟子たちは、師の語られたことを忘れないうちにまとめておこうと云うことになりまして、断片的に記録したものを皆で持ち寄った。そして出来上がったものが論語であります。ですから論語には、孔子の本音がそのまま語られ、孔子の素顔がそのまま記されている訳です。
孔子は三大聖人の一人に数えられておりますから、倫理の化石か道徳の干物のような人物ではないか?と思われるかも知れません。しかし孔子は、酒も飲めば歌も歌う、グルメで
もオシャレでもありました。時には青筋を立てて弟子を叱ったかと思えば、冗談を飛ばしたり粋なことも云う。弟子は弟子で口答えしたり文句を云ったりしながらも、どう云う訳か14年間の放浪中も師の側から離れようとしない。多くの弟子達が『ほのぼのとして、何となくユーモラスで、どこか懐かしい感じがして、いつ迄も無邪気な遊び心を失わない』孔子の何とも云えない人間味に魅了されたのです。
(3)論語のエッセンス 五徳と「仁」
論語の中で述べられている孔子の教えのエッセンスは、仁・義・礼・知・信なる五つの徳目を実践することに集約されます。
「仁」とは人を思いやる心、「義」とは正義を貫く心、「礼」とは礼を尽くす心、「知」とは知恵を磨く心、「信」とは人を信じる心のことですが、孔子は仁義礼知信なる五徳を同列並列には考えていなかったようで、義も礼も知も信も、すべての根っこに仁がある「徳はすべて仁ベース(土台)!」と捉(とら)えていたようであります。
仁なく義のみが独り歩きすれば、正義の為には手段を選ばず!となって、惨たらしさを極めることとなる。人類を何千年もの間悩ませ続けて来た戦争の原因はみなこれです。仁なく礼のみが独り歩きすれば、実(じつ)のこもらない上辺だけの虚礼となる。仁なく知のみが独り歩きすれば、自分さえ良ければ!とする非情でずる賢い知となる。仁なく信のみが独り歩きすれば、マインドコントロールされて冷静な判断力を失った集団と化す。
だから「徳はすべて仁ベース!」身(しん・行ない)、口(く・言葉)、意(い・思い)の拠り所を仁に置け!となる訳です。論語全510章中、仁について語られているものが58章もあるのはそのせいです。
すべての根本である仁を「人を思いやる心」だと申しましたが、もっと分かり易く云うとどうなのか?という弟子の問いに対して孔子は、つぎのように云っています。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」自分が嫌なことは人に仕向けるな!
「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」自分がこうありたい、ああなりたいと望むことは、まず人にやってあげなさい!
(4)論語のエッセンス ニュートラルなハイブリッド進化論「中庸」
子どもの頃、真剣に思い悩んだことを、大人になってから振り返ってみれば、「何であんなことで悩んでいたんだろう!?」と思うことがありませんか。何故かと云えば、様々な縁の中で揉まれて、精神が進化したからです。精神の進化とは、より高次の認識力の獲得であるとも云えます。建物で云えば、1Fよりは2F、2Fよりは3F,3Fよりは4F、4Fよりは5Fの方がより見通しが効く、見晴らしが良いということです。
中庸とは、より高次の認識力を獲得をするための方法論ですが、ポイントが二つあります。一つは、偏らず、寄りかからず、過ぎることなく及ばぬこともなく、中正(ニュートラル)を得ること。極端を避けることです。
二つめは「Aか然らずんばBか?」「俺か然らずんばお前か?」と云った対立する考えではなく、「貴方と私で力を合わせて、両者を包み込み混成(ハイブリッド)した新たな道を築きましょう!」ということです。
中庸とは「Aの良い所とBの良い所を併せ持ち、更にそれらを、一層進化させた、ニュートラルなハイブリッド進化論」、これが本来の意味なのであります。別の表現を使えば、中庸とは、
自を害さず他を害さず、自他共に生かす道。
私を害さず公を害さず、公私共に生かす道。
個を害さず全体を害さず、個と全体共に生かす道。
つまり、人間が大調和をはかりながら、無限に進化して行く為の方法論、これを「中庸」と云う訳です。
(5)「街角論語200選」を作るに当って留意したこと
一、〈読下し文〉については、句読点を入れるのは当然のこととして、
老眼の方でも読み易いように文字を大きくし、ルビの行を空け
ました。
二、〈通釈文〉は、難しい言葉は極力避け、誰にでも分かるようにスッキリ
とシンプルにまとめたつもりです。又、歴史的背景を知らないと意味
が通じないものについては、原文にはない必要な文言を補いました。
三、〈解説〉は、身近で普遍的な物事に焦点を絞ったつもりですが、まあ、
付け足しのようなものだと思って下さい。
以上の三点です。尚、原文の必要な方、もっと詳しく知りたい方は、
「論語解説」を参照して下さい。
「街角論語200選」で論語の楽しさを満喫し、毎日の生活で実践していただけたら、この上ない幸せです。
論語に学ぶ会
主監 高野 大造