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【192】
子夏曰わく、百工肆に居て以て其の事を成す。君子、学びて以て其の道を致す。
【通釈】
子夏云う、「職人が仕事場で自分の仕事を成し遂げるように、君達は真理を学んで自らの使命を全うしなさい」と。
【解説】
本子張第十九篇は、全篇弟子の発言が集録されておりまして、「子曰く」で始まる章は一本もありません。孔子の死後、一門を成した弟子達の指導方針や考え方の違いが分かる面白い篇です。子夏(孔子より44才年少)は、十哲の一人で文学(学問)の人。以下、何本か子夏の意見を紹介してみましょう。
【193】
子夏曰わく、小人の過つや、必ず文る。
【通釈】
子夏云う「下種(げす)な人間は、過ちを犯すと必ず何のかんのと言い訳をする」と。
【解説】
小さい頃、言い訳をすると、親に「人に言い訳はできても、神様に言い訳はきかないよ!」と叱られた経験はありませんか?
私はよく叱られました。
でも、言い訳をした時は、後でとても嫌な気分になる、自分は何て卑しい人間なのか!と。
これは不思議ですね。
やはり、心の奥には神の種(神性)が宿っているとしか思えません。
過ちを犯したら、「すみません!」と素直に謝るに越したことはありませんね。
【194】
子夏曰わく、君子に三変有り。之を望めば儼然たり。之に即けば温なり。其の言を聴けばし。
【通釈】
子夏云う、「君子が人に与える印象には、三つの際立った特徴がある。遠くから見ると威厳があって近寄り難いが、近くで接するとほのぼのとした温かさがあり、その言葉を聴けば厳粛で犯し難いものがある」と。
【解説】
述而第七67章に、「子、温(おん)にして(はげ)し、威(い)にして猛(たけ)からず、恭(きょう)にして安(やす)し」とありますが、子夏は孔子のこういう姿を君子の理想像と位置付けて発奮興起したのでしょう。君子の儒(大学者)として世に知られる人物となりました。
【195】
子夏曰わく、大徳は閑を踰えず。小徳は出入するも可なり。
【通釈】
子夏云う、「すべての土台である仁の大徳を踏み外すことがなければ、その他の小さな徳については多少行き届かないことがあっても、まあ大目に見てやりなさい」と。
【解説】
真面目一方の堅物かと思っていたら、結構話しの分かる人じゃないですか、子夏は!
曽子の門は猛烈に重苦しかったようですが、子夏の門は和気藹々として結構楽しかったのではないでしょうか?
根本さえ見失わなければ、枝葉末節にはガミガミ云わない、というのですから。
子夏は孔子の死後西河のほとりに一門を構え、子弟の教育にあたります。かなり評判が高かったようで、後に魏の文侯に招かれ、文侯の師となって魏の政治顧問を務めることになります。「詩序」と「儀礼喪服伝」を著しています。
【196】
子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。
【通釈】
子夏云う、「仕官して仕事に余裕ができたら学問するもよし、学問して自信がついたら仕官するもよし。まずは与えられた環境でベストを尽くすことだ!」と。
【解説】
この人は本当に柔軟な思考の持ち主だったようですね。
学而第一の4番に「‥行いて余力あれば、則ち以て文を学べ」という言葉がありますが、やるべきことはちゃんとやれ!与えられた環境でベストを尽くせ!それで余力があったら学問しろ!!というのが孔子の教育方針でしたから、子夏もこれをしっかり受け継いだのでしょう。
この人には何となく愛着を感じますね。
【197】
子游曰わく、吾が友張や、能くし難きを為すなり。然れども未だ仁ならず。
【通釈】
子游云う、「私の友人の子張は、人のできないことを難なくやり遂げる才能はあるが、思いやりに欠けるところが玉にキズだな」と。
【解説】
これが子游の子張評、「子張はやり手だが、思いやりに欠ける奴だ!」と云うのが。
子夏・子游・曽子・子張の四人はほぼ同世代のライバルですが、年の順から云うと、子夏(孔子の44才年下)、子游(45才年下)、曽子(46才年下)、子張(48才年下)と、子張が一番年下です。
次章で曽子も同じような子張評を述べていますから、生意気な後輩だったのでしょうね、子張は。
【198】
曽子曰わく、堂堂たるかな張や、与に並びて仁を為し難し。
【通釈】
曽子云う、「実に堂々としているなあ子張は!しかし、ともに仁を実践できるかどうかとなると、難しいな!?」と。
【解説】
これが曽子の子張評です。
子張は、人としての温かみというか、温もりに欠けていたようですね。
【199】
叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶踰ゆべきなり。仲尼は日月なり。得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷らんや。多に其の量を知らざるを見るなり。
【通釈】
魯の大夫叔孫武叔が仲尼(孔子の字)を貶(けな)した。これを聞いた子貢は、「バカなことを云うのはお止めなさい。仲尼先生は我々凡人がとやかく云えるような人ではありません。世間の賢者は喩えてみれば小高い丘のようなもので、越えようと思えば誰でも越えられますが、先生は太陽や月のような存在ですから、誰もこれを踏み越えられる者はおりません。たとえ自分の方から太陽や月の光りを拒絶しようとしても拒めるものではないし、むしろ拒んだ方が身の程を知らぬ愚かさを自ら表明しているようなものです」と云った。
【解説】
子貢は孔子を太陽や月のような存在に喩えている。
人間ごときが太陽や月の存在をどうすることも出来ないのと同様、孔子をとやかく云うのはゴマメの歯軋りに過ぎない、と。
やはり子貢は、孔子を普通の人間とは違う特別な存在・聖なる存在と捉えていたようですね。
身の程を弁えない愚か者のことを「夜郎自大・やろうじだい」と云います。出典は、史記「西南夷列伝」にあって、前漢の時代に大国漢の使者が南方の野蛮国の野郎を訪れた際、野郎侯は身の程も弁えず、「漢、我が大なるにいずれぞ?(貴国の漢と我が国とでは、どちらが強大か?)」と愚かな質問をした故事から、身の程を弁えぬ愚か者のことを称して「夜郎自大」なる成語がなった。
四十過ぎてまだ夜郎自大をやっていると、世間知らずのオバカサンにしか見られません。
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