【130】
憲、恥を問う。子日わく、邦、道有れば穀す。邦、道無くして穀するは、恥なり。
【通釈】
門人の原憲(げんけん)が、役人としてどんなことが恥かを問うた。孔子は、「行政が正しく行われ、人民の生活が安定しているならば、もらうべき俸給はもらって構わんが、行政が乱れ人民が苦しんでいるというのに、もらうべきものだけはちゃっかりもらっておくというのは、人として恥ずべきことだろう」と答えた。
【解説】
これ、今の役人(公務員)が聞いたら、何と思うでしょうか?
公僕とは、国民に奉仕する者の事かと思っていたら、現代は、国民が奉仕する者のことを云うそうで、2500年前の孔子の時代にもいたのでしょうね、こういう人達が。
本当に恥ずかしい話しですね。
【131】
子日わく、士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず。
【通釈】
孔子云う、「いやしくも公務に携わる役人が、自分の家庭生活の安泰を最優先に考えるようでは、役人の風上にも置けないな」と。
【解説】
2500年前にも、マイホーム主義の役人が居たと云うことですか‥。
マイホーム主義それ自体が悪いということではないけれど、商売であれば「店は客の為に有り」で顧客第一主義が当たり前であるように、「役所は国民の為に有り」と、国民第一主義でやってもらわないと困りますね。
日本の公務員は世界一優秀だと思うのだけれど、その気になれば、「トヨタ看板方式」が世界中の自動車メーカーのモデルになったような、「役所看板方式」を作り上げてしまうのではないでしょうか。
志の問題ではないのかな?
【132】
子日わく、徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず。
【通釈】
孔子云う、「徳の備わった人物は必ず良いことを云うが、良いことを云う人に必ずしも徳が備わっているとは限らない。仁者には必ず勇気が備わっているが、勇者に必ずしも仁の心が備わっているとは限らない」と。
【解説】
確かにそうなのだけれども、どっちも期待してしまうのが我々凡人の性(さが)でしょうか。
特に初対面の人に対してはそうですね。
普段から接している人ならば、仮令(たとい)口下手ではあっても、志の立派な人は言葉に味わいがあるし、口達者でも志の卑しい人は、同じ言葉であっても味がないと云うか、どんなに良いことを云っても嘘っぽく感じられる。
「粗にして野なれども卑ならず」という俗諺があるけれども、粗(行き届かず)野(野暮ったい)であるが、志は卑しくない、つまり、気高いものがあるかどうかを本能的に見抜く能力は、本来誰にでも備わっているのではないでしょうか。
【133】
子日わく、君子にして仁ならざる者有らんか。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
【通釈】
孔子云う、「君子と雖も人の子だから、時には奉仕の精神を忘れる者もいるだろう。しかし、小人物で一時でも人の為に尽くそうなどという者は、未だかつていたためしがない」と。
【解説】
ここで云う仁は、奉仕の精神・人の役に立とう・人の為に尽くそうとする心と解釈しました。
君子と小人を商人に喩えてみると、「店は客の為に有り」とするのが君子的商人、「客は店の為に有り」とするのが小人的商人と云えましょうか。
因みに、商人(しょうにん・あきんど)のルーツを調べてみますと、殷は別名商とも云って、塩や青銅の交易に長けていたことから、殷人(いんひと)つまり商人(しょうひと)と云えば、商売上手の代名詞のようになったそうです。
面白いですね。
【134】
子日わく、之を愛して能く労すること勿からんや。忠にして能く誨うること勿からんや。
【通釈】
孔子云う、「真に我が子を愛するならば、どうして苦労させずにいられよう。真に友を思うならば、どうして忠告せずいられよう」と。
【解説】
将来有る我が子を愛するばかりで苦労させなかったら、それは舐め回す禽獣の愛に過ぎません。否、禽獣と雖も、子供に狩を教え込み、時が来たら強制的に追い出します。
人間特有の溺愛や盲愛は、子供をダメにしてしまいます。
又、友に嫌われるのを怖がって、ズバリと忠告しないのは、仲良しごっこをやっているようなものです。
最近多いですよ、仲良しごっこを友情と勘違いしている人が。
本当の愛情は、時には命懸けで叱り付けることもある。
真の友情は、時には本気で張り倒すこともある。
その時分からなくとも、いつか必ず分かる時が来る、親の恩と友の忠(まこと)を。
唐宋八家の一人蘇東坡(そとうば)は、「愛して苦労させることを知ればその愛は深く、忠を尽くして誨(おし)えることを知ればその忠は大きい」と述べていますが、これは本当にそうですね。
【135】
子日わく、貧しくして怨む無きは難く、富みて驕る無きは易し。
【通釈】
孔子云う、「貧乏を怨まないというのは、余程人物が出来ていないと難しいことだ。これに比べて、裕福でも驕らないということなど、多少心得のある者ならたやすいことだ」と。
【解説】
維新後明治政府の要請で、ヨーロッパから招かれた学者・医師・教師・技術者が、初めて日本人に接して一様に驚いたことが三つあったそうです。
一は、識字率の高さ(江戸末期には寺子屋の普及で、日本人全体の識字率
は60%近くに達していた)。
二は、大変清潔好き。
三は、貧乏を恥と思っていない。
日本人が貧乏を恥と思うようになったのはいつ頃からでしょうか?
戦後の高度経済成長期以降ではないのかな。
【136】
子路成人を問う。子曰わく、臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦以て成人と為すべし。曰わく、今の成人は何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要は平生の言を忘れざる、亦以て成人と為すべし。
【通釈】
子路が、出来た人物とはどのような人を云うのかを問うた。孔子は、「臧武仲の智謀、孟公綽の廉潔、卞荘子の勇気、冉求の多芸の才を備え、その上礼楽の教養を身につけているような人物なら、成人(出来た人物)と云ってよかろう」と答えたが、言葉を継いで、「今のご時世ではそこまでオールマイティーを求めるのは難しかろう。利に臨んだ時にはその利が義に叶ったものかどうかをよく考え、危機に臨んだ時には潔く一命を投げ出す覚悟があり、古い約束と雖も平生その約束した言葉を忘れず実行する。このような人物であれば、まずまず合格だな」と云った。
【解説】
現在我が国では、戸籍年令満20才を以て成年とすることを「成人」と称しておりますが、本来は戸籍年令に関係なく、智謀・廉潔・勇気・教養・礼節を兼ね備えた人物を成人と称する訳ですか‥‥。
そこまでは無理としても、利を見ては義を思い、危機には一命を投げ出す覚悟があり、一旦口にしたことは言を違えない、これが出来て初めて成人ですか‥。
成人になるというのは大変なことなんですね。
20才になったら100%自己責任を問われるというものではないんですね。成人と云うよりは、聖人ですよこれは‥‥。
【137】
子曰わく、晋の文公は譎りて正しからず。齊の桓公は正しくて譎らず。
【通釈】
孔子云う、「晋の文公も斉の桓公もともに五覇の一人だが、文公は権謀術策(けんぼうじゅっさく)を用いて正道によることがなかった。これに対して桓公は正道を踏み行って、権謀術策を用いることがなかった」と。
【解説】
春秋時代の十二列国‥‥魯・衛・晋・鄭・曹・蔡・燕・斉・宋・陳・楚・秦。
その中でもとりわけ強大な国力を有し、天子を助けて天下に号令を発した諸侯を、「春秋五覇」と云う。
春秋五覇‥‥斉の桓公・宋の襄公・晋の文公・秦の穆公・楚の荘王。
かなり前に「重耳(ちょうじ)」と云う小説がベストセラーになったことがありますが、重耳とは晋の文公のことです。
【138】
子路曰わく、桓公、公子糾を殺す。召忽之に死し、管仲は死せず。日わく、未だ仁ならざるか。子曰わく、桓公諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。
【通釈】
子路が、「斉の桓公が兄の公子糾(こうしきゅう)を殺して政権を握った際、糾(きゅう)の側近であった召忽(しょうこつ)は殉死しましたが、同じく側近であった管仲は殉死しないばかりか、仇敵である桓公に仕えました。これは不仁の極みと云えませんか?」と問うた。孔子は、「その当時(百年位前)は周室の勢力が既に衰えておって、諸侯は王の命に服さず、夷狄(いてき)は混乱に乗じて中原を窺うという有り様であった。この時桓公が武力を用いず諸侯を糾合して夷狄を追い払い、周室の威信を守ることができたのは、ひとえに管仲の力によるものである。確かに殉死しなかったのは不仁義であることには違いないが、天下を平定し王の威信を守った功績を考えれば、管仲は小義よりも大義に殉じた大人物と云えよう。召忽の仁義は管仲の仁義に及ぶものではないよ」と云った。
【解説】
本章はそのまま直訳したのでは、何故子路がこのような質問をし、孔子が何故このように答えたのか、良く分かりませんので、意味が通じるように文言を補って通釈してみました。(中国の古典に詳しい方にとっては、要らぬお節介だったかも知れませんね、悪しからず)
【139】
公叔文子の臣、大夫僎、文子と同じく諸を公に升す。子之を聞きて曰わく、以って文と為すべし。
【通釈】
衛の大夫公叔文子の家臣僎は、文子の推挙によって大夫に昇進した。孔子はこの話しを聞いて、「自分の部下とは言え、優れた人物ならば推挙して自分と同格の地位に引き立てるとは、大した人物である。さすがに文という立派な諡(おくりな)を贈られるに相応しい人物だ」と云った。
【解説】
「文子(ぶんし)」なる諡号(しごう)は、当時死後に贈られる最高の称号とされておりまして、遺族にとっては大変な名誉だったようです。
紹介するだけならまだしも、推挙するとなると余程慎重にならざるを得ませんから、僎と云う人物も相当立派な人物であったに相違ありません。
万一見込違いであったら、推薦責任が生じますからね。
【140】
子日わく、其の言を之れ怍じざれば、則ち之を為すや難し。
【通釈】
孔子云う、「出来もしないことを云って、しゃあしゃあとしているようでは、恐らく何をやらせてもダメだろう」と。
【解説】
これはちょっと意訳し過ぎましたかな?
ならばこれでどうでしょう、孔子云う、「自分の発言に責任を持たず、云いっ放しの人は、やることもやりっ放しで、アテにならんだろう」と。
間違ったことを云ったことに後で気がついて、恥ずかしい思いをした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
その時は、「言葉は控えめにしなければならんな!謙虚さが足りなかったな!?」と反省するのですが、しばらくすると又やってしまう。
自分で気付かずにいると、今度は友人が、「あれはこうじゃないのか?」と間違いを指摘してくれる。
これはありがたいものです、間違いを指摘してくれる友は。
もし指摘してもらえなかったら、一生気付かずにいたかも知れない。
友の意見には、謙虚に耳を傾けるものですね。
親の意見より何倍も効き目が有ります。
【141】
子路、君に事えんことを問う。子日わく、欺くこと勿れ。而して之を犯せ。
【通釈】
子路が君主に仕える要道を問うた。孔子は、「誠を尽くして仕え、決して欺くようなことがあってはならない。もし君主に過ちがあったなら、君の機嫌を損ねようとも、毅然として諫めねばならん!」と云った。
【解説】
「誠を尽くして仕え、過ちがあれば諫(いさ)めよ」とは、トップに仕える側近の要諦です。
しかし、いくら諫めよと云っても、相手に信用もされていないのに諫めたりすれば、「この無礼者」と一刀両断されてしまいます。
信頼を得て初めて諫めが聞き入れられることになる訳ですが、その諫め方が又難しい。
殊にトップともなるとプライドの高い人が多いですから、有名な故事を引いてそれとなく気付かせた方が、ストレートに云うより効き目が有ります。
何十年も連れ添った夫婦の間でさえ、ストレートに指摘されると腹が立つのに、他人の諫言(かんげん)を快く聞き入れてくれる人など、そう滅多にいるものではありません。いたら大人物です。
歴史に残る名君は、皆側近の諫言に快く耳を傾けた人物のようですね。
中でも有名なのが、「貞観政要(じょうがんせいよう)」の主人公、唐の太宗李世民(りせいみん)ですね。
【142】
子日わく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。
【通釈】
孔子云う、「昔の学者は自己の修養の為に学問をしたものだが、今の学者は世に知られんが為にやっている」と。
【解説】
孔子の時代から既にこういうことがあったんですね。
江戸時代、昌平坂学問所の教授で言志四録の著者・佐藤一斎は、「学は己の為にするを知るべし。これを知る者は必ず之を己に求む。これ心学なり」と述べ、更に「今の学者は隘(あい)に失わずして博に失い、陋に失わずして通に失う。(今の学者は学問が狭いために失敗するのではなく、博いために却って失敗している)」と述べておりますが、知識の獲得は、本質・真理を探究する為の手段であるということでしょうか。
目的(本質・真理探求)と手段(知識の獲得)が顛倒している風潮を嘆いたものでしょう。
知識の豊富な人は掃いて捨てる程おりますが、本質を見抜く目を持った人は、至って少ないものです。
【143】
曽子日わく、君子は思うこと其の位を出ず。
【通釈】
曽子云う「君子(出来た人物)は分不相応な思いなど抱かぬものだ」と。
【解説】
身分制度のない現代にあって、分相応・分不相応をどう解釈したら良いかと云うと‥‥、身の丈に合っているかいないか?キャパシティー(器量)とアビリティー(能力)に相応しいか相応しくないか?と捉えたら良いのではないでしょうか。
これ、簡単なようで非常に難しい、自分で自分を判定するのは。
自己限定し過ぎて「引っ込み思案」になるか、自信過剰で「能天気」になるか、大概(たいがい)はどちらかに偏ってしまうものです。
蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘るといいます。
小さ過ぎれば窒息するし、大き過ぎれば這い上がれない。
曽子は反省の大家で、日々、身・口・意(しん・く・い)の点検を怠らなかった人ですから、自分自身がよく見えていた。
我々凡人はどうも反省が苦手です。
その時は一つ「蟹の穴の喩え」を思い出して、身の丈に合っているかどうか?自己点検してみてはいかがでしょうか。
それでも判断がつかない時は、本当に好きで楽しいことかどうかで判断するしかないでしょう。
【144】
子日わく、君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず。
【通釈】
孔子云う、「君子は、自分の発言が実際の行ないより大げさになることを恥じるものだ」と。
【解説】
この文章の後に、140番の文言を持って来るとピシャリと決ります。
曰く、「君子は其の言の其の行ないに過ぐるを恥ず。其の言を之れ怍(は)じざれば、則ち之を為すや難し」と。
これは胆に銘じておきたい言葉です。
前にも云いましたが、論語には、その章の文言と別の章の文言を繋げるとより意味が鮮明になるものが沢山ありますから、言葉のパズルでもするつもりで楽しんで下さい。
【145】
子貢人を方ぶ。子日わく、賜や賢なるかな。夫れ我は則ち暇あらず。
【通釈】
子貢はよく人を批判した。孔子はこれを見て、「何様のつもりになっているんだ賜は!私は自分のことで精一杯で、とても人様を批判している暇などないよ」と云った。
【解説】
「賜や賢なるかな」を直訳すれば、「さても賢いことよのう、賜は!」となるのでしょうが、孔子の本音は「何様のつもりだ!」と云いたかったのだろうと慮(おもんぱかっ)って、このように釈しました。
史記の仲尼弟子列伝に、「喜(この)んで人の美を揚げ人の過ちを匿(かく)すこと能わず」とありますから、子貢は人の過ちについては徹底的に批判を加えることはしても、美点や長所については何も触れなかったのでしょう。
孔子は、フェアでない子貢の態度が普段から気になっていて、「何様のつもりだ!」となったのではないでしょうか。
【146】
子日わく、人の己を知らざるを患えず、其の不能を患うるなり。
【通釈】
孔子云う、「人が自分のことを知ってくれないなどと思い患う暇があったら、自分に人から知ってもらえるだけの人間的魅力がないのではないか?を心配するのが先ではないのかね!?」と。
【解説】
「世間の目は節穴だ!自分のことをちっとも分かってくれない!」と云う話しを時々耳にしますが、今迄は「そんなことないよ、君のいい所はみんなが知っているよ!」と励ましたりしたものですが、今後は孔子を見習って、「君に、人に知ってもらえるだけの魅力が、何かあるのかね?人様の役に立ち喜ばれるようなことを、何か実践しているのかね?」と云ってみる事にしますかな。心で思っているだけでは何にもならないんですよ、実践しなければね、大人の世界は。
【147】
或るひと日わく、徳を以て怨みに報いば何如。子日わく、何を以てか徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん。
【通釈】
或る人が、「怨みに対しては徳を以てせよ!と云う言葉がありますが、いかがなものでしょうか?」と問うた。孔子は、「ならば、徳に対しては何を以てするのかね?怨みに対しては誠意を以てし、徳に対しては徳を以てするのがよいのではないかな」と云った。
【解説】
「老子」第六十三章に、「報怨以徳・怨みに報いるに徳を以てす」とありますから、この「或るひと」とは、ひょっとしたら老子(李耳)の知り合いで、周から魯に孔子を訪ねて来た人かも知れません。
孔子も老子も、「報怨以怨・怨みに報いるに怨みを以てす」とは云っておりません。
報怨以怨ですと、「目には目を!歯には歯を!」となって、復讐が復讐を呼んでしまいます。
この「目には目、歯には歯」を是とする教えは、旧約聖書とコーランに見られ、「同害復讐法」と云います。
ユダヤとアラブが果てしない報復合戦を演じているのも、この同害復讐法があるからなんですね。
「怨み心で怨みは解けぬ」と云いますが、「怨みに対しては誠意を以てせよ」と云う孔子の言葉には、ウームと唸らされます。
怨みは解けなくとも、復讐の連鎖は避けられますからね。
【148】
子日わく、我を知ること莫きかな。子貢日わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子日わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。
【通釈】
孔子が、「真に私を理解してくれる者はいないな」とつぶやいた。これを聞いた子貢は、「どうして先生のことを知らない者がおりましょうや!」と云った。孔子は、「世に知られようが知られまいが、天を怨むこともなく人を尤めることもなく、身近なことから学んで進歩向上に努めて来た。真に私を理解してくれるのは、きっと神様くらいのものだろう」と云った。
【解説】
今でこそ孔子は、釈迦やイエスと同じ救世の使命を担って生まれた大聖人であったことが分かるけれども、同時代に孔子と出会った人々は、大人物とは感じていても、大聖人とは誰も気付かなかったのではないでしょうか。
唯一、子貢だけがうすうす感じていたようです。(子張第十九にそれらしい子貢の発言がみられます)
何が難しいかと云って、人々の魂進化を促す教え、人々を覚醒させる教えを説いて善導すること程、難しいものはないのではないでしょうか。
これが出来たのは、私達の知る範囲では、釈迦・孔子・イエスの三人位のものでしょう。
その次に難しいのは、その教えを体系的にまとめて編纂し、後世に遺すこと。
三番目に難しいのは、体系化し編纂されたものを、時代や環境に合わせて翻訳し直し、実社会で活用する、所謂活学すること。
四番目は、解説や説明の施されたものを学び習うこと。
これなら誰にでもできるでしょう。
【149】
子日わく、上、礼を好めば、則ち民使い易きなり。
【通釈】
孔子云う、「上に立つ者が礼を尽くして人々に接すれば、人民もそれに感化されて自然に礼儀正しくなり、使い易くなるものだ」と。
【解説】
子は親の姿を見て育ち、部下は上司の姿を見て育つ。
それも、後姿を見て育ちますから厄介です。
後姿は自分でも見えませんから、気がつかないことが多い、つまり、無意識でやっていることが殆どと云っていい。
無意識でやってしまうこと程怖いものはありません。
親や上司が無意識でやっていることを、子供も部下も無意識で真似て行く。
子供や部下の嫌な点が目に付いたら、「何をやっているんだ!」と叱る前に、もしかしたら自分が気付かずにやっていることを、子供や部下が目の前で演じて見せてくれているのではなかろうか?と、反省してみた方がよいかもしれませんよ!?
【150】
原壌、夷して俟つ。子日わく、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是を賊と為す。杖を以て其の脛を叩く。
【通釈】
孔子の幼馴染みの原壤が、孔子が来るのをしゃがんだままで待ち受けた。そのだらしない様子を見て孔子は、「子供の頃は目上に逆らい、大人になってからもこれと云った善行もなく、年をとっても死ぬに死ねず世の厄介者となっておる。この穀潰し!お前は一体何をしにこの世に生まれて来たのか?さあ立て!!」と云って持っていた杖で原壤の脛を叩いた。
【解説】
これは強烈な叱責だ。
原壤がどんな人物であったかは分かりませんが、子供の頃からよく知っていて、何かと面倒を見てやった人だったのではないでしょうか?
そうでなかったら、「是を賊となす・この穀潰し!」などと面と向かって云えませんもの、他人には。
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