微子第十八

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 【190】
柳下(りゅうか)(けい)士師(しし)()り、()たび(しりぞ)けらる。(ひと)()わく、()(いま)(もっ)()るべからざるか。()わく、(みち)(なお)くして(ひと)(つか)うれば、(いず)くに()として()(しりぞ)けられざらん。(みち)()げて(ひと)(つか)うれば(なん)(かなら)ずしも父母(ふぼ)(くに)()らん。

【通釈】
魯の大夫柳下恵は、三度獄官長(裁判官)に任命され、三度罷免された。ある人が、「あなたは三度も罷免されたというのに、どうして国を去ろうとなさらないのですか?」と尋ねた。柳下恵は、「正道を守り通して人に仕えれば、どこの国へ行ったとて二度や三度罷免されるのは当たり前でしょう。道を曲げて仕えるとなれば、どこへ行こうと仕官するのは簡単です。だとすれば、どうして生まれ故郷を去る必要などありましょうか」と云った。

【解説】
柳下(りゅうか)恵(けい) 姓は展、名は獲、字は禽、恵は諡、柳下は封地からとった号。柳(りゅう)下恵(かけい)と読むのは誤りです。
ここいら辺が論語を読み下す時の難しい所ですね、姓か名か字か諡か号か官名か、どこで切ったら良いのか?
古代の中国には「清官六条件」というものがあって、
  一、清貧に甘んじて人民を搾取しない。
  二、法令を厳守して公平に適用する。
  三、上に対しては真実を直言する。
  四、剛直であくまでも正道を守る。
  五、賄賂を受けず私情を差し挟まない。
  六、民生の安定を最優先する。

というものですが、六条件すべて満たした官吏は滅多にいなかったようで、柳下恵はその数少ない中の一人だったようです。

【191】
斉人(せいひと)(じょ)(がく)(おく)る。季桓子(きかんし)(これ)()け、三日(みっか)(ちょう)せず。孔子(こうし)()る。

【通釈】

孔子が大司寇になってから、魯の国はよく治まり国力が増した。魯が強大になるのを恐れた隣国の斉は、内部を撹乱する為に、素朴な魯国に、斉の垢抜けした美女八十人からなる歌舞団を贈ってよこした。筆頭家老の季桓子は喜んでこれを受け入れてしまい、定公と共に連日宴に耽った。美女の妖麗な舞にすっかり魅了された二人は、三日間朝政を怠った。孔子はこれに失望して職を辞し魯を去った。

【解説】
話しを分り易くする為にかなり文言を補いました。この策略を練ったのは斉の大夫黎徂(れいしょ)という人物ですが、素朴で野暮ったい農業国家魯の首脳にカルチャーショックを与えて骨抜きにしてやれ、という魂胆だったのでしょう。
定公も季桓子もまんまとはめられてしまったようです。このすぐ後で郊祭(こうさい)という天の神様を祭る国家行事があり、祭壇に供えた祭肉を大夫達に下賜するのが歴代魯公の慣わしとなっていたにもかかわらず、定公は美女歌舞団にうつつを抜かしてそれも怠ってしまった。この時「先生、この国を去りましょう!」と勧めたのは子路ですが、魯を去った孔子はこの後14年間に及ぶ亡命生活を送ることとなります。
恐らく、政敵に命を狙われていることを子路は知っていたのでしょう。

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