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【114】
子路、政を問う。子日わく、之に先んじ之を労う。益を請う。日わく、倦むこと無かれ。
【通釈】
子路が、政治に臨むに当たっての心構えを問うた。孔子は、「何事も率先して行い、部下を労わってやること」と答えた。子路は、「もっとありませんか?」と重ねて問うた。孔子は、「何ごとも途中で投げ出さず、最後迄根気よくやりなさい!」と答えた。
【解説】
倦むを辞書で引くと、嫌になる・飽きる・退屈する・飽きて疲れるの意とある。
元の意味はどうなのかと思って漢和辞典を引いてみると、倦=人+巻(けん・ぐったりとしてだれるさま)の会意文字とありますから、「途中で飽きてだらけてしまう」ことが倦むという言葉の由来なのでしょう。
物事に取り組むには、勇気・やる気・元気・根気の四つの気力が必須といわれますが、成就するかどうかの決め手が「根気」でしょうかね。
ですから、飽きっぽくて根気がないというのは、人間として重大な欠陥と考えてよいのではないでしょうか。
人生、好きで楽しいことばかりではない。
寧ろ辛く苦しいことが多い。こうしないと魂が鍛えられませんから。
これをクリアーするにはかなりの努力と忍耐が要る。
努力を積み重ね、忍耐を持続するに必要な気力が根気。
孔子は、「倦むことなかれ」と子路に対して云っていますから、子路は好きで楽しいものでないことには、多分に飽きっぽい所があったのでしょう。
礼楽の大家に弟子入りしておりながら、礼楽なんかは子路の最も苦手とする所でしたから。
【115】
仲弓、季氏の宰と爲りて、政を問う。子日わく、有司を先にし、小過を赦し、賢才を挙げよ。日わく、焉んぞ賢才を知りて之を挙げん。日わく、爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所、人其れ諸を舎てんや。
【通釈】
仲弓が季氏の所領の代官となった際、指導者としての心得を問うた。孔子は、「まず第一に、部下となる役人の意見をよく聞いてやり、いいアイディアは積極的に採用してやりなさい。第二は、部下の小さなミスは大目に見てやりなさい。第三は、賢人を見出してどしどし登用しなさい」と答えた。仲弓は、「どうしたら広く賢人を集めることが出来るでしょうか?」と重ねて問うた。孔子は、「先ずお前の知っている人の中で、これは!と思う人物を登用することだ。そうすれば、今度の代官は積極的に賢人を登用する人だという噂が広まって、お前の知らない範囲については、人が次々と推薦してくれるようになるだろう」と答えた。
【解説】
「戦国策」と云う書物に、「隗(かい)より始めよ」という有名な話が載っておりますが、かいつまんで云えば、「公平公正な目でまず身近な所から人材を選んで重く用いてやれば、次から次へと優秀な人材が集まって来る」というものです。
本章の、「爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所、人其れ諸を舎てんや」が「隗より始めよ」に相当します。
因みに、「隗」とは、燕の昭王に世話役(ジイ)として仕えた郭隗(かくかい)と云う人物の名です。
【116】
子日わく、詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専対すること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん。
【通釈】
孔子云う、「詩経三百五篇を丸暗記するほど猛勉強したとしても、一国の政治を任されても何の成果も上げられず、外交交渉に於いて一人で堂堂と渡り合えないようでは、そんな猛勉強が一体何の役に立つというのか」と。
【解説】
何だか今の日本の外交官のことを云っているようで、とても2500年前の話しとは思えませんね。
学校教育と社会教育の決定的な違いは何かと云えば、学校では答えのある問題の解き方を教え、社会では答えのない問題の解き方を教えることにある、と云えるでしょうか。
答えのある問題を解くには、方程式を覚えれば万人同じ答えが出るけれども、答えのない問題を解く方程式はありませんから、一人一人が滑ったり転んだりしながら、自ら方程式そのものを作って行く他はありません。
ですから、百人居れば百通りの方程式があり、千人居れば千通りの方程式がある。
人は人のやり方でやれば良し!自分は自分のやり方でやれば良し!
地球の人口70億人の中には、一人として同じ個性の人間は居ない訳ですから、早い話しが、70億通りの方程式があるってことです。
自分は自分の個性を輝かして行けばいいんです。
【117】
子日わく、其の身正しければ、令せずして行われ、其の身正しからざれば、令すと雖も従わず。
【通釈】
孔子云う、「上に立つ者が、日頃正しい行いをやっていれば、いちいち命令などしなくとも、部下は率先して行動するようになる。逆に、上に立つ者がデタラメをやっていれば、いかに厳しく命令した所で誰もついて来ない」と。
【解説】
上下の身分が截然(せつぜん)としていた封建時代に於いてさえ、肩書きだけでは通用しない、人望がなかったらリーダー失格と云うことですね。
本章の後に顔淵第十二の110番後段の文言を持ってくると、ピシャリと決まります。
曰く、「其の身正しければ、令せずして行われ、其の身正しからざれば、令すと雖も従わず。君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草、之に風を上うれば、必ず偃す」と。
【118】
子、衛に適く、冉有僕たり。子日わく、庶きかな。冉有日わく、既に庶し。又何をか加えん。日わく、之を富まさん。日わく、既に富めり。又何をか加えん。日わく、之を教えん。
【通釈】
孔子が衛に滞在した時、冉有が御者(ぎょしゃ)となり衛見物をした。孔子は、「随分人が多いな!」と云った。冉有は、「確かに多いですね。先生でしたらこの多くの人をどうされますか?」と問うた。孔子は、「先ずは人々の日常生活を豊かにすることだ」と答えた。冉有は更に、「人々の生活が豊かになったら、次には何をなさいますか?」と問うた。孔子は、「勿論教育だ!」と答えた。
【解説】
論語に何度か登場する管仲(かんちゅう・孔子より百年ほど前の斉の人)の言葉に、「倉廩(そうりん)実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱(えいじょく)を知る」というものがあります。(現代では省略して、「衣食足りて礼節を知る」が慣用されている)
経済が豊かになって、初めて人は礼節や栄辱に関心が向くようになる。
食うものも着るものもロクに無いような状態で、礼儀礼節だ!栄誉だ廉恥(れんち)だ!と云った所で、土台無理な話し、人は聞く耳を持たん、と云うことでしょう。
やはり本章で孔子が云う通り、「之を富まさん」→「之を教えん」と云うのが正当な順序なんですね。
ただ我々凡人は、「倉廩(そうりん)実ち過ぎれば礼節を失い、衣食足りすぎれば栄辱を忘れる」傾向がありますから、要注意ですね。
【119】
子日わく、善人、邦を為むること百年、亦以て残に勝ちて殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や。
【通釈】
孔子云う、「諺に『善人が相続いて国を治め百年の長きに及べば、穏やかな国風が醸成されて人々の残忍さも影をひそめ、人殺しをするような者はいなくなる』とあるが、誠にその通りだなあ、この言葉は!」と。
【解説】
家には家風、学校には校風、地域社会には気風、国には国風というものがあります。
人は誰でもこの四重五重の「風」のマントを着て人と接している訳ですが、残念ながらこのマントは相手には見えても自分には見えない。
風を分かり易く云うと‥、雰囲気・ムードではちょっと物足りないし‥、気質・性分では舌足らずですし‥、個性・感性では味わいがないし‥、ああそうだ!それらをすべて渾然一体化した「味わい」或は「趣き」、これが風と考えてよいでしょう。
風は教育や訓練とは次元を異にしたもののようでありまして、世代を超えて薫習されて来たオーラと云ったらいいでしょうか。
オーラは肉眼では見えない、だから自分では気がつかない、しかし他人は何となく感じ取る。
面白いですね、風と云うものは。
孔子は、善き国風が醸成されるには百年かかると述べておりますから、一代30年とすると、親 → 子 →
孫と受け継がれて、曾孫の代で漸く「味わい」・「趣き」と云ったオーラが醸し出される訳ですね。
難しいですね、後継者選びは。
途中でオカシナ者が継いだらそれまで!と云うことですから。
【120】
子日わく、如し王者有らば、必ず世にして後に仁ならん。
【通釈】
孔子云う、「もし真の王者が現れたならば、一世代(30年)はかかるだろうが、間違いなく人々に仁風を根付かせることが出来るだろう」と。
【解説】
真の王者が治めても、仁風・穏やかな気風を根付かせるのに一世代・30年かかるとすれば、前章の善人ならば、三代継承して百年かかるのも無理もない、と云った所でしょうか。
【121】
葉公、政を問う。子日わく、近き者説べば、遠き者来たる。
【通釈】
葉公が政治の要道を問うた。孔子は、「近くの人達が悦ぶような政治を行えば、遠方の人達もその評判を聞いて慕って来るものです」と答えた。
【解説】
この文章は、政治のみならず商売にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。
伝統がどうの、格式がどうのと云った所で、地元の人達から慕われないような店では、どうしようもありません。
「近き者説べば遠き者来る」は、商売の王道です。
【122】
子夏、莒父の宰となりて、政を問う。子日わく、速やかならんと欲すること無かれ。小利を見ること無かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。
【通釈】
子夏が莒父の代官となって政治に臨むに当っての心構えを問うた。孔子は、「ことを急いてはならん!目先の利益を追ってはならん!ことを急いては仕損じるし、目先の利益を追えば大事業はできない」と云った。
【解説】
子夏は十哲の一人に数えられる文学(学問)に優れた人でしたが、若い頃は、手っ取り早くうまいことやろう!と云う安直な考えがあったのかも知れません。
孔子はこれを見抜いていたのでしょう、「コセコセするな!チマチマするな!気高くあれ!雄雄しくあれ!(君子の儒となれ!小人の儒となるなかれ!)」と励ましていたようです。
子夏も師の励ましに応えようと努力したのでしょう、後に十哲の一人に数えられるほどの大学者となりました。
この人は、孔子と出会っていなければ、小人の儒(三文学者)で終わっていたのかも知れません。
先進第十一097番に、「商や及ばず」とあるように、決して器用な人ではなかったようですから。
【123】
葉公、孔子に語りて日わく、吾が党に直躬なる者有り。其の父、羊を攘みて、子之を証す。孔子日わく、我が党の直き者は是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り。
【通釈】
葉公が孔子に、「私の町内に正直者の躬(きゅう)さんと云う者がおりまして、迷い込んで来た羊を父がネコババしたのを見て、証人として訴え出たんですよ」と云った。これに対して孔子は、「私の町内の正直者はそういうことはしません。父は子を庇(かば)い子は父を庇う。庇い合いの精神の中に直き心が宿るものなんだが」と云った。
【解説】
「庇い合いの精神の中に直き心が宿る」、これは一体どういうことなんでしょうか?
善いことは善い!悪いことは悪い!と、はっきりさせるのが正直者のすることではないのか?
身内だから、友人だからと云って、庇ったり隠したりするのは嘘つきではないのか?
他人の羊をネコババするなんて窃盗罪ではないのか?
それを訴えて何が悪い!?こう考えても間違いではありませんが、短慮、ちょっと大人気ないですね。
訴え出る前にやるべきことがあるでしょう、返して来るようにと説得するか、本人の留守の間にこっそり返してくるか。
父が帰って来て、「あの羊はどこへ行った?」となったら、「さっき飼い主が呼びに来たので帰りました。羊は飼い主の声を知っていますから」と言えば、父も返す言葉がない。
やるべきこともやらないで、いきなり身内を告発するなどと言うのは、正直者どころか誠意に欠けます。
「利の元は義、義の根は仁」、先ずこれを一番身近な身内からやってみろ!と云うことですね。
【124】
子日わく、南人言えること有り。日わく、人にして恒なくんば、以て巫医を作すべからずと。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或は之に羞を承めん。子日わく、占わざるのみ。
【通釈】
孔子云う、「南方の人の諺に、『万事行き当たりばったりで恒心のない者は、巫女のご託宣も名医の施術も効き目がない』と云うが、まったくその通りだなあ、周易にも『徳の実践に一貫性がなく、その時の気分次第でころころ変るようでは、いつか辱めを受けることになる』とあるが、これも占い以前の心構えの問題だ」と。
【解説】
恒心とは、一貫してぶれない心のことですが、恒心のない人はやはりダメですか。
頑固一徹では困るけれども、恒心のある人とは、安心して付き合えますものね。
【125】
子日わく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
【通釈】
孔子云う、「出来た人物は、調和を心掛けるが付和雷同することがない。これに対して、小人物は、付和雷同するばかりで調和することがない」と。
【解説】
これも前章と同様、恒心があるかないかの問題でしょう。
恒心がないから付和雷同する、あれば是々非々を明確にしながら、全体と調和する。
集団の調和が崩れるのを恐れるあまり、敢て是々非々を論ずることをタブーとしている(特に政治話や宗教話)修養団体があるようですが、あれは本当の調和じゃないね、仲良しごっこですよ。
和を貴ぶことと仲良しごっこは全く別物です。
【126】
子貢問うて日わく、郷人皆之を好せば何如。子日わく、未だ可ならざるなり。郷人皆之を悪まば何如。子日わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者は之を好し、其の善からざる者は之を悪むに如かざるなり。
【通釈】
子貢が、「地元の人達がこぞって好意を寄せるような人は、立派な人でしょうか?」と問うた。孔子は、「必ずしもそうとは云い切れまい」と答えた。子貢は、「では、地元の人達がこぞって悪口を云うような人がむしろ立派でしょうか?」と重ねて問うた。孔子は、「それもそうとは云い切れまい。地元でも一目置かれる人からは好かれるが、怪しげな人からは嫌われる人物。こういう人と付き合ったほうが無難ではないかな」と。
【解説】
こういうことをサラリと云ってしまう所が、人間通孔子のなんとも云えない魅力でありまして、うっかりすると「当たり前だろう」位にしか感じません。
我々凡人は、地元の人達がこぞって褒めれば善人、こぞって貶(けなせ)せば悪人と決めつけてしまうのが普通です。
だが孔子は、「こぞって○○」と云うのは、却って信用できないと云う。
普段私達は、自分はまともだと思って人を判断しておりますから、自分と違ったことをする人を見ると、異質或は変わり者だと思ってしまう習性がある。
しかし、実際の所「灯台下暗し」もあれば「岡目八目」もありますからね。
尚、孔子がここで云う「郷人の善き者は之を好し」の善き者とは、公平な目・大局的な目を持った人を指しているのではないかと思います。
一般的な善人悪人の善人を意味するものではないようです。
【127】
子日わく、君子は事え易くして説ばしめ難し。之を説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及びては、之を器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。之を説ばしむるに道を以てせずと雖も、説ぶなり。其の人を使うに及びては、備わらんことを求む。
【通釈】
孔子云う、「出来た人物に部下として仕えることは易しいが、喜ばせることは難しい。道理に叶ったことでなければ喜んでくれないからだ。だが、部下の長所や能力に応じて使いこなしてくれるから、仕え易い。これに対して、小人物に部下として仕えることは難しいが、喜ばせることは簡単だ。道理に叶うことでなくとも、結果さえ良ければ喜んでくれるからだ。しかし、部下の長所や能力
におかまいなしにオールマイティーを要求するから、仕え難い」と。
【解説】
長所や能力に応じて使いこなすことを、「人を生かして使う」といいます。
優れたリーダーか、ダメなリーダーかの分岐点は、人を生かして使えるか?マニュアル通りのワンパターンにしか使えないか?にあると云っても過言ではありません。
生かして使われた時、人はぐんと成長します。
組織全体の方向性と、個々の役割分担が明確になっていれば、こういう人達は一々指示命令などしなくとも、自主的・主体的に動くようになる。
人間は進化し続ける生きものですから、自分で考え行動するように育てた方が良いか?云われた通りにしか動けないマニュアル人間に育てた方が良いか?となれば、誰だって自主的・主体的に動く人の方を選ぶでしょう。
【128】
子日わく、君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。
【通釈】
孔子云う、「出来た人物はゆったりと落ち着いて、少しも驕ったところがない。これに対して、下らない人物ほど驕り高ぶって、少しも泰然自若としたところがない」と。
【解説】
これは身につまされる言葉です。
自信のない人ほどぶりたがり、自信のある人ほど謙虚ですからね。
偉ぶる、通ぶる、知ったかぶる‥、皆自信のない人の特徴ってことですね。
前に云ったかもしれませんが、利口・バカより、バカ・利口の方が一枚も二枚も上手なんですね。
バカ・利口になれないのは、大したことのない証拠です。
【129】
子日わく、剛毅木訥、仁に近し。
【通釈】
孔子云う、「芯がしっかりして辛抱強く、素朴で口数の少ない者は、必ずしも仁者とは云えないかも知れないが、それに近い人物と思って良いだろう」と。
【解説】
これは、学而第一の2番「巧言令色鮮し仁」と対照的な言葉です。
剛毅とは、意志がしっかりして物事に屈しないの意、朴訥とは、飾り気がなく無口なことの意ですが、確かにこういう人物は安心して付き合えます。
仁者を仏教で云うなら、「菩薩」がこれに当るでしょうか。
釈迦は「四摂事(ししょうじ)」を菩薩行の実践徳目としたといわれます。
「四摂事」とは、
一、布施(ふせ)‥‥‥実相を教え施しをすること。
二、愛語(あいご)‥‥思いやりのある言葉をかけること。
三、利行(りぎょう)‥人々の利益になる行いをすること。
四、同事(どうじ)‥‥人々と同じ姿をし仕事をしながら教え導くこと。
の四つです。
顔淵第十二 ← 子路第十三 → 憲問第十四
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