衛靈公第十五 430

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〔原文〕
師冕見、及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、
某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然。固相師之道也。

〔読み下し〕
師冕(しべん)(まみ)ゆ。(かい)(およ)べり。()(のたま)わく、(かい)なり。(せき)(およ)べり、()(のたま)わく、(せき)なり。(みな)()す。()(これ)()げて(のたま)わく、(ぼう)(ここ)()り、(ぼう)(ここ)()り。師冕(しべん)()ず。()(ちょう)()うて(いわ)く、()()うの(みち)か。()(のたま)わく、(しか)り。(もと)より()(たす)くるの(みち)なり

〔通釈〕
盲人で音楽家の冕という人が孔子を訪問した。孔子は自ら出迎えて手を引き、階段の前に来ると「ここが階段ですよ」、座席の前に来ると「ここがお席ですよ」と云って座らせた。門人達が全員着席すると、「誰それはここです、誰それはここです」と一人一人紹介した。師冕が退席した後で子張が「これが目の不自由な人に対する礼儀作法でしょうか?」と質問した。孔子は「その通り!これが目の不自由な人を労わる礼儀作法だ」と答えた。

〔解説〕
これは孔子の温かい人柄が伝わってくるいい文章ですね。礼は仁あっての礼、思いやりの気持ちを姿形に表したものなんですね。

〔子供論語 意訳〕
()不自由(ふじゆう)音楽(おんがく)先生(せんせい)(べん)という(ひと)孔子(こうし)(さま)訪問(ほうもん)した。孔子(こうし)(さま)(みずか)出迎(でむか)えて()()き、階段(かいだん)(まえ)()ると「ここが階段(かいだん)です」といい、座席(ざせき)(まえ)()ると「ここが先生(せんせい)のお(せき)です」といって着席(ちゃくせき)させた。()ってお(むか)えしていた弟子(でし)(たち)全員(ぜんいん)着席(ちゃくせき)すると、孔子(こうし)(さま)は「誰々(だれだれ)(くん)はここです、誰々(だれだれ)(くん)はここです」と、一人(ひとり)一人(ひとり)紹介(しょうかい)した。冕先生(べんせんせい)がお(かえ)りになった(あと)で、弟子(でし)()(ちょう)が「これが()不自由(ふじゆう)(ひと)(たい)するいたわり(かた)ですか?」と質問(しつもん)した。孔子(こうし)(さま)は「そう!これが()不自由(ふじゆう)(ひと)をいたわるやり(かた)なんだよ」とおっしゃった。

〔親御さんへ〕
この文章から、盲人に対する礼儀作法の他に、客を迎える際の当時の作法が窺えます。

    一は、主自らが出迎える。
  二は、客の到着前に全員が揃っている。
  三は、全員が立って迎える。  
  四は、客が着席してから座る。

松下幸之助さんはこれを実践されていたようですが、いい会社に行くと今でもこの作法が見られますね。中国人が椅子に座るようになるのは、前漢の後半になってからですから、孔子の時代は、毛皮を敷いて正座していたようです。
 

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