〔原文〕
子曰、民之於仁也、甚於水火。水火吾見蹈而死者矣。未見蹈仁而死者也。
〔読み下し〕
子日わく、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾踏みて死する者を見る。未だ仁を踏みて死する者を見ざるなり。
〔通釈〕
孔子云う、「人間にとって、仁は水や火よりも大切なものである。確かに水や火は日常生活に欠かせないものであるが、反面水死したり焼死したりと危険な面も併せ持っている。しかし、仁はいい面ばかりで、これを踏み行って死んだなどという人は、未だかつていたためしがない」と。
〔解説〕
何事も度を越してやり過ぎると、必ずどこかで弊害が生ずるものですが、仁に限っては弊害どころかやればやる程良い結果をもたらすと孔子は云う。義に過ぎれば、正義の為には手段を選ばずとなって、暴虐無惨を極めることとなる。礼に過ぎれば、実のこもらない上辺だけの虚礼となる。知に過ぎれば、自分さえ良ければと、冷酷非情な狡猾知となる。信に過ぎれば、我が神、我が神と異端邪教のレッテルを貼り合って、宗教戦争を引き起こす。仁に過ぎれば、仁に過ぎれば…、認め合い、許しあい、分かち合い、助け合って、地上天国が出現する。
仁あっての義、仁あっての礼、仁あっての知、仁あっての信、徳はすべて仁ベース! 仁に抗(あがら)えるものなどこの世に存在しないんです。仁をやり過ぎても良くなるだけで、弊害などどこにも生じません。足りないから、奪い合い、いがみ合い、殺し合いが始まるんです。仁の出し惜しみをやってはいけない!
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「日常生活に水や火は大切だが、人を思いやる気持ちの方がもっと大切だ。水や火は多すぎれば洪水で溺れ死んだり、火事で焼け死んだりすることもある。だが、人を思いやる気持ちは、多ければ多いほど世の中が明るく平和になる。だから君達は、人を思いやる気持ちをケチってはいけないよ!」と。
〔親御さんへ〕
仁・義・礼・知・信なる五徳(五常)は同列並列ではない!徳は全て仁ベース!!とは、皆さん耳にタコができる程聞かされて来ました。
義が高ずると、人を裁いてしまいます。
礼が高ずると、形式主義に流れます。
知が高ずると、利口バカになります。
信が高ずると、排斥的になります。
では、仁が高じたらどうなるでしょうか?人を思いやる気持ちが高まりに高まったら、一体どうなるでしょうか?
何か不都合なことでもありますか? 奪い合いますか?
殺し合いますか?それとも分かち合いますか?
助け合いますか?そう!
仁は高ずれば高ずる程、自分も人も世の中も良くなるんです。自分さえ良ければ!などというのは薄情者のすることです。薄情者が幸せになったことなど、未だかって聞いたためしがありません。仁をケチってはならない! 「仁ケチ」になってはいけません!!
但し、宋襄の仁・時宜(じぎ)を失した無益の情け(愚か者の仁)は、自分も人も社会も損ねることになりますから、人・時・所に応じた弁えは必要です。盲愛・溺愛は仁とは云いません。仁とは、只今現在のみならず、先々のことも考慮して相手を思いやることですから、時には厳しさも必要なんです、仁ベースの厳しさがね。仁ベースの厳しさのことを「叱る」と云うでしょう?
仁の伴わない厳しさは「怒る」と云います。
現代人は、家庭のみならず職場でも「叱り下手」になっているようで、日本産業カウンセラー協会が行った「職場のいじめに関するアンケート」では、いじめののトップがパーワーハラスメント、その内容として「怒鳴る」が68%と最も多く、社員のメンタルヘルスに深刻な状況を及ぼしているそうです。
|