衛靈公第十五 416

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〔原文〕
子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(しゅう)(これ)(にく)むも(かなら)(さっ)し、衆之(しゅうこれ)(この)むも(かなら)(さっ)

〔通釈〕
孔子云う、「大衆が皆嫌うからといって、そのまま鵜呑みにせず必ず自分の目で確かめてから判断しなさい。大衆が皆好むからといって、そのまま鵜呑みにせず必ず自分の目で確かめてから判断するようにしなさい」と。

〔解説〕
「噂や伝聞を鵜呑みにするな!必ず事実に基づいて判断しろ!!」ということですが、もう少し深読みしてみると、「大衆が悪むにはそれなりの理由がある筈だから、必ずその真相を突き止めろ!大衆が好むにもそれなりの理由がある筈だから、必ずその真相を突き止めろ!上に立つ者は、成り行き任せでボヤッとするな!」という意味が含まれているような気がします。

孔子の時代は民主主義ではありませんから、人民は一方的に統治される立場にあった。表現の自由もなければ職業選択の自由もない、勿論結社の自由などある訳がない。人民に残された最後の意思表示は、村ごと集団亡命に訴える他はありません。当時人力は貴重な資源でしたから、集団亡命されたら国力はガタッと落ちてしまいます。それだけに人の上に立つ士大夫の責任は重大で、サイレント・マジョリティー(声無き大衆)の好むこと・嫌うことを的確に掴んでおく必要がある。

「察(さつ)」には見抜く・見通す・調べるの他に、深く思いやる・推し測るの意がありますから、「衆之を悪めば必ず察し、衆之を好めば必ず察す」と読み下して、「大衆が嫌うこと好むことには必ずそれなりの理由があるのだから、上に立つ者は声無き大衆の気持ちをちゃんと察してやれ!」と解釈しても宜しいかと思います。こちらの方が、人間通孔子の本音かも知れません。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)は、みんなが(きら)うからといって、(うわさ)だけで悪口(わるくち)()うのはやめなさい!(かなら)自分(じぶん)()(たし)かめなさい。みんなが()きだからといって、評判(ひょうばん)だけで()めるのはやめなさい!これも(かなら)()(ぶん)()(たし)かめなさい。(うわさ)評判(ひょうばん)だけでけなしたりちやほやしたりするのは、ノータリンです!」と。

〔親御さんへ〕
今の子供は「ノータリン(脳足りん)」などという言葉を知っているだろうかと小6の孫に聞いたら、ちゃんと知っていました、「脳みそが足りない人のこと」と。ノータリンと並んで人を罵(ののし)る言葉に「テーノー(低能)」というものもありますが、これも知っているか?と聞いたら、知っている。「じゃあ左巻きは?」と聞くと、これは知らないと答えました。

子供は罵(ののし)り言葉をどれ位知っているものだろうかと、「ボケナスは?」・「トンマは?」・「ヒョーロクダマは?」・「アオビョータンは?」・「オタンコナスは?」・「アンポンタンは?」と畳み掛けたら、家内が「ロクでもないことを教えるな!」と怒り出したので止めにしました。

私達が子供の頃は、「バカ カバ チンドンヤ オマエノカーサン デベソ!」とか、「デブ デブ 百貫デブ 電車にひかれてペッチャンコ!」などと憎まれ口叩いたものですが、今の子はやらんようだね。そう云えば、ジャンケンやって「パイナップル」とか「グリコ」とか「チョコレート」って遊びもやらんようだね、今の子は。

ああ、論語と関係ない話しになってしまいましたが、たまにはいいか与太話しも。まあ、噂や評判に振り回されてノータリンになることだけは止めましょうや!「賢者は、事実に基づいて判断し、信念に基づいて行動する。愚者は、噂に基づいて判断し、世間体に基づいて行動する」って所かな。
 

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