衛靈公第十五 415

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〔原文〕
子曰、巧言亂徳、小不忍、則亂大謀。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、巧言(こうげん)(とく)(みだ)る。(しょう)(しの)ばざれば、(すなわ)大謀(たいぼう)(みだ)

〔通釈〕
孔子云う、「口先だけの綺麗事は品格を損なう元だ! 小事を耐え忍ばなければ、大事など為せる筈がない!」と。

〔解説〕
何度も云うように、孔子は言葉を非常に大切にする人でした。言葉には一種の霊力と云うか、造化力(現実を造り出す力)が宿ると考えていたようで、論語には「言(ことば・げん)」に関することが20本近く収録されておりまして、最終章510章は「言(げん)を知らざれば、以て人を知ること無きなり」で締め括られている。

これは日本古来の「言霊(ことだま)」思想にも見られますし、新約聖書ヨハネによる福音書第一章「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。この言は太初に神とともにあり、萬(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物一つとして之によらで成りたるはなし」にも見られます。

言葉は情報を伝えるだけの記号に過ぎないと思ったら大間違いでありまして、造化力も感化力も破壊力も反発力も持った、一種のエネルギー波動です。言葉が乱れると道徳が乱れることはよく知られておりますが、これも、言葉がエネルギー波動であることの証しではないでしょうか?

巧言とは、言葉を飾って巧みに云うこと、口先だけの綺麗事のことですが、孔子は特にこれを嫌った、品格・徳性を損なう元だ!と。何故でしょうか?心にもないことを云うという行為は、自分自身に嘘をついているからなんですね。自分自身に嘘をつくこと程、徳性を損ねるものはありません。嘘も方便とは訳が違います、嘘も方便は誰も傷つけないことが前提ですから。

論語開眼でも述べた通り、徳とは「素直な心で素直に生きる」ことなんですね。その証拠に、心にもないおべんちゃらを云った時は、後で必ずいや〜な気分になるでしょう?自己嫌悪に陥るでしょう?おべんちゃらを云っている人を見ると、卑しい奴だ!と思うでしょう?こんな奴とは付き合いたくない!と思うでしょう?真っ当な感性の持ち主ならば。おべんちゃらは、一方では自らの徳性を損ね、もう一方では人との出会いの縁・人縁を損ねてしまう。これ程人生を損ねてしまうことはないでしょう!?

皆さんも学んだ「菜根譚」の前集第192条で洪自誠はこれを、「媚子(びし)阿人(あじん)は隙風(げきふう)の肌を侵すに似て、其の損なうを覚えず(媚び諂う手合いは、隙間風が肌をさし風邪をひくようなもので、知らず知らず我が身を損なわせるものだ)」と云っている。後段、「小忍ばざれば、則ち大謀を乱る」は耳が痛い。若い頃は、ちょっと気に食わないことがあるとすぐカーッとなって当り散らしたものですが、些細なことですぐカーッとなるようでは、最早それ迄、大事業など出来はしないってことですね。肝に銘じておきましょう。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「口先(くちさき)だけのおべんちゃらは、人格(じんかく)(きず)つけてしまう(もと)だから()つけなさい!(ちい)さなことですぐカーッとなるようでは、(おお)きな(ゆめ)をかなえられないぞ!」と。

〔親御さんへ〕
子供がおべんちゃらを覚えるようになるのは何才位からでしょうか?社会人になってからでしょうかね?儒教のみならず、仏教ではおべんちゃらのことを「綺語(きご)」と云って、釈迦は弟子達を厳しく戒めている。

おべんちゃらと並んで周囲に卑しさを感じさせるのは、学歴を鼻にかけることですかねえ?出身校など聞いてもいないのに、二言目には「東大では、東大では」と何十年も前のことを持ち出して自慰行為に耽っている人を見掛けますが、あれは止めた方がいい、みっともないから。どこを出たか?など大したことではなくて、今はどうか?が問われる訳ですからね、大人の世界では。

先日、山形塾の会員企業が新社屋を建てたので記念講演を頼まれて行きましたら、参加者の中に二期赤羽塾の小林君と高校時代同級生だった人物がおりまして、これが二言目には「東大では、東大では」を連発する。「ところで今何をしているの?」と聞くと、「遺伝子解析の情報会社の役員をやっています」と云うので、「儲かっているのか?」と重ねて問うと、「第三セクターのようなもので、創業来ずっと赤字です」と答える。

「経営者の勲章は利益剰余金と資本剰余金、どこを出たかなど問題ではない!東大出を口にしなくなったら君はいい男になるんだがなあ?」と云ったら、プーッと膨れていなくなりました。いい歳こいて、何十年も前の出身校しか誇れるものがなかったら、その人生は淋しいよ。中卒であろうが高卒であろうが大卒であろうが、社会に出てからが人生の本当の勝負、社会人として何を為したか?が問われる訳ですからね。

後で小林君に聞いたら、「そうなんです。あいつはそれさえなくせばいい奴なんですがね!だから女にモテんガアですて!!」と余計なこと迄云うので、「お前はモテるのか?」と問い返しますと、「勿論僕もモテません!!」とちゃんと身の程を弁えておりましたので、「許す!」となって話しは終わりました。

受験生をお持ちの親御さんは、子供がどこに受かるか?が心配でしょうが、大人になってみれば、どこを出たか?よりも今はどうか?が問題なのだから、受験受験とあんまり騒がん方がいい。受験秀才が大成したという話しは、あまり聞いたことがありません。ペーパーテストで測れるのは、人間の能力の2%位のものではないのかなあ?二十才過ぎたらタダの人ってのが現実でしょ?

自分の子だけは例外だ!と思うのは親馬鹿です。あなただって親にそう思われながら、結局今のあなたになったんじゃないですか!?「後生畏るべし」だけれども、「四十五十にして聞くこと無くんば、これ亦畏るるに足らざるのみ」でもいいじゃないですか?今世こうして孔子の教え(真理)を学ぶことができたんだから。これからだよこれから!棺桶に入る迄が勝負!!「壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」なんです。
 

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