衛靈公第十五 414

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〔原文〕
子曰、吾猶及史之闕文也。有馬者借人乗之。今則亡矣夫。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(われ)(なお)()(けつ)(ぶん)(およ)ぶなり。(うま)()(もの)(ひと)()して(これ)()らしむ(いま)(すなわ)()きかな。

〔通釈〕
孔子云う、「私の若い頃は、朝廷の記録官が史実を記録する際には、不確かな部分を空欄にして後世の識者に俟つという態度であった。又、馬を得た時には、調教師に充分乗りこなしてもらってから乗るようにしたものであるが、今はこれらの奥床しさがなくなってしまったなあ」と。

〔解説〕
何とか意味の通じるように上記の如く通釈しましたがピント外れかも知れません。先人達もこの章の解釈には苦労したようで、伝承の途中で何文字か欠けてしまった為に、「闕文」と但しを書きいれたものが誤ってそのまま伝わってしまった、とする説もある。これは、段々軽薄でせっかちになって来た世相を憂えての、孔子の一言だったのではないでしょうか?

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(むかし)歴史(れきし)記録(きろく)する専門(せんもん)役人(やくにん)がいて、事実(じじつ)正確(せいかく)記録(きろく)た。あいまいな部分(ぶぶん)空欄(くうらん)にして(なに)()かないのがルールであった。なぜかというと、(おも)()みで間違(まちが)ったことを()いたりすれば、歴史(れきし)(ゆが)めてしまうことになるからだ。(ゆが)められた(れき)()(まな)子孫(しそん)(たち)は、当然(とうぜん)のことながら(ゆが)められてしまうことになる。これほど(つみ)(ぶか)いことはないのだよ」と。

〔親御さんへ〕
人には長所もあれば欠点もあり、美点もあれば汚点もあり、成功もあれば失敗もあるように、その集合体である民族にも長所もあれば欠点もあり、美点もあれば汚点もあり、成功もあれば失敗もある。その民族の織り成す歴史には、プラス面もマイナス面も両方あるのが当然で、プラス面のみ或はマイナス面のみの歴史などある筈がありません。

それを無理矢理マイナス面などなかったことにして、美点のみに歴史を歪めてしまったらどうなるか?美化してしまったらどうなるか?時代を経るに従って、自民族の無謬化→絶対化→神聖化が起り、身の程知らずな思い上がりから、他民族の蔑視→差別→迫害へと向かう。

一方、プラス面などなかったことにして、汚点のみに歴史を歪めてしまったらどうなるか?民族の自己嫌悪→自己批判→自己否定が起り、矜恃の喪失→自虐→隷従へと向かう。戦後日本の左翼運動が丁度これですね。

民間人30万人の南京大虐殺・強制連行による従軍慰安婦・軍命令による渡嘉敷島・座間味島の集団自決等、ありもしないことを教科書に載せて子供達に教えるなど、これ程子孫を歪めてしまうような罪深いことは他にないでしょう。プラス面もありマイナス面もあるのが人間の事実、民族の事実なのだから、そうですねえ、プラス面7割、マイナス面3割位の配分で子供達に教えたら良い。民族に誇りを感じながら、バランスのとれた子に育ちます。

これを逆にして、プラス面3割マイナス面7割でやると、民族の誇りを失わせ→独立自尊の気概のない→奴隷根性を持った子に育ちます。自分のことすら自分で決められない、自分の国すら自分達で守れない、万事他人任せ他国任せの惰弱民族に落ちぶれてしまうのです。

子供の頃に刷り込まれた歪んだ先入観念や固定観念は、余程の修練を積まないと中々払拭できないものなんですね。殆どが墓場迄持ち続けます。これ程罪深いことはありません。
 

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