衛靈公第十五 396

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 〔原文〕
子曰、可與言而不與之言、失人。不可與言而與之言、失言。知者不失人、

亦不失言。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(とも)()うべくして(これ)()わざれば、(ひと)(うしな)う。(とも)()べからずして(これ)()えば、(げん)(うしな)う。知者(ちしゃ)(ひと)(うしな)わず、(また)(げん)(うしな)わず。

〔通釈〕
孔子云う、「云うべき相手に対して真情を打ち明けなければ、まともな人に逃げられてしまう。云うべきでない人にうっかり真情を打ち明けたりすれば、失言問題を引き起こしてしまう。真の知者はここを充分弁えているから、人を失うことも言を失うこともない」と。

〔解説〕
「失言(言ってはいけないことを言ってしまうこと)」なる成語の出典がここ。言うべき時・言うべき所・言うべき人に、言うべきことを言わないと、とんでもない誤解を招いたり、非難を受けたりする。人間関係の難しい所はこれですね。

+=信ですから、人を失い言を失うとは「信(まこと)」を失うことになる。これは本当に気をつけないといけません。「人を見て法を説け!」と云うけれど、人だけではなく、時や場所も弁えていませんと、久間防衛大臣のようになってしまいます。

済んでしまった過去のことを今更取り返せるものではない、つまり、施すべき手がないから「しょうがない」と発言したのでしょうが、本当のことだからと云って、いつでも・どこでも・誰にでも云って良いとは限りません。

タイミングをはかり、場所を考え、人を見てものを云わないと、相手を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけてしまうことになる。難しいね、この弁えは。相手の身になって考えろ!ってことですね、何事も。

テキストのこの箇所に青線が引いてあって、「これだ!」と書き込みがしてありましたので、何だろう?と考えてみましたら、将にこれで何度も失敗して来たのだ!!とハッとして線を引いたことを思い出しました。このテキスト(仮名論語)は平成元年に買ったものですから、もうかれこれ20年近くになるんですね、線を引いてから。1020年なんてあっという間ですね。

〔子供論語 意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「信頼(しんらい)できる(ひと)本当(ほんとう)のことを()()けないと、あいつは水臭(みずぐさ)(やつ)だ!(おも)われて相手(あいて)にされなくなる。(ぎゃく)に、信頼(しんらい)できない(ひと)本当(ほんとう)のことを()()けると、(まわ)りに()()らされて()ずかしい(おも)いをすることになる。だから君達(きみたち)は、秘密(ひみつ)()()けて()(ひと)かどうかをよく見極(みきわ)めてから、相談(そうだん)するようにしなさい」と。

〔親御さんへ〕
私達は普段あまり意識しないけれども、本音や秘密は滅多に他人に漏らすものではない、という思い込みがあって、云うだけ野暮、聞くだけ野暮と自己規制をかけているようですね。いじめを苦にした自殺なんかも、「助けて!」という本心を誰にも打ち明けられずに、命を絶ってしまうのでしょう?

子供が一番信頼しているのは親と教師ですから、ここの信頼の絆が断ち切られてしまうと、子供はもう誰も頼る者がいなくなって、孤独地獄に陥ってしまうことになる。教師は何十人もの子供を見ている訳ですから、気が付かないこともある。最後の砦はやっぱり親です。

小学生のうちは、「今日学校で何があった?」と聞いてあげるのが親の最低限の務めです。前にも云いましたが、この時親が途中で口を挟んではいけない。一緒におやつを食べながら「ウン、ウン」と黙って聞いてやる。学校の様子、クラスメートの人間模様、教師の性格、校内の事件や事故等々・・・、15分も自由にしゃべらせてやれば、子供も心に溜まったものを吐き出せるし、親も日々の学校の様子が分かる。

子供は自分のことを、親に聞いてもらいたい・見てもらいたいという本能をもっていますから、ちゃんと見ているよ!ちゃんときいているよ!ということを態度で示してやる必要がある。これだけで子供は安心するんです。自由にしゃべらせ、黙って聞いてやる。絶対に途中で口を挟まない。一番いけないのは、無関心と過干渉です。無関心ですと、子供は親の関心を引こうとしてグレる。過干渉ですと、子供は親離れし損なってニートになる。
 

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