〔原文〕
子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人、下學而上達。知我者其天乎。
〔読み下し〕
子日わく、我を知ること莫きかな。子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。子日わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。
〔通釈〕
孔子が、「真に私を理解してくれる者はいないな?」とつぶやいた。これを聞いた子貢は、「どうして先生のことを知らない者などおりましょうや!」と云った。孔子は、「世に知られようが知られまいが、天を怨むこともなく人を尤めることもなく、身近なことから学んで人格の向上(魂進化)に努めて来た。真に私を分かってくれるのは、きっと神様くらいのものだろう」と云った。
〔解説〕
今でこそ孔子は救世主としての使命を担って誕生された方であったことが分かるけれども、同時代に孔子と出会った人々は、大人物とは感じていても、救世主とは誰も気付かなかったのではないでしょうか。孔子の最大の理解者であった子貢ですら、この時はまだ孔子が救世主であることに気付いていない。
子張第十九は、弟子達がそれぞれ自説を展開しているものを収録しておりますが、「子日わく」が一つも出て来ない所を見ますと、編者は孔子の死後弟子達が語ったものだけを集めたのではないかと思います。
その506章で、子貢は初めて孔子が救世主であったと認めるような発言をしている。私達はみな一丁前面して生きておるけれども、一旦肉体に宿ると明き盲になってしまうようで、これだけ通信システムが発達した現代にあってさえ、救世主の存在に気付かないかも知れない。
場合によっては、イエスに向かってツバを吐いたり、石を投げたりした群衆のようになってしまうかも知れない。愚かであってはいけないな!と、最近つくづく思います。これは皆さんも同じではないでしょうか?
〔子供論語 意訳〕
孔子様が、「私を知ってくれる人はいるのだろうか?」とつぶやいた。これを聞いた弟子の子貢は、「先生を知らない人などいませんよ!」といった。孔子様は、「私の顔や名前のことではなく、神様から授かった使命(お役目)のことだよ。私の使命は、人々の心をより進歩向上するように導くことなのだ。だから、愛し合い・生かし合い・許し合え!と人々に訴えて来たのだよ。まあ、人が知ってくれなくたって、神様が知っていてくださるから、それでいいか!」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
何が難しいかと云って、人々の魂進化を促す教え・人々を覚醒させる教えを説いて善導する程、難しいものはないでしょう。これが出来たのは、釈迦・孔子・イエスの三人位のものでしょう。
その次に難しいのは、その教えを体系的にまとめて編纂し、後世に残すこと。これも難しい、曲がったら大変なことになりますから。三番目に難しいのは、体系化し編纂されたものを、時代や環境に合わせて翻訳し、実業や実社会に活用する、所謂実学とする。これなら、少し頑張れば私達にもできるかな?四番目は、既に実学化されたものを学び習う。これは誰にでもできるでしょう。学びもせず習いもせず、御託を並べる人のことをバカアンニャと云いますが、こうなると誰からも相手にされません。野暮をこくからね、バカアンニャは。
どういう訳か最近は論語が異常なブームで、ちょっとした会合に出ても必ず論語が話題になる。先日弟の代理で東京のある会合に出ましたら、やはり論語が話題になった。15人位の集まりでしたが、皆さんいろんな解説書をお読みになっているようで、様々な意見が出た中で、一人「徳はすべて仁ベース!仁あっての義・仁あっての礼・仁あっての知・仁あっての信なんですよ!」と云う人がいたのでびっくり。
これは私の本を読んでくれた人に違いない!?と思いまして(弟の名札を付けていたので、私が著者だとは誰も分からない)、「どんな書物に載っていたんですか?」と尋ねましたら、カバンの中から『書いて味わう人生応援歌・論語』を取り出して、「これです!私は今三回目を読んでいますが、これはいい本だから皆さんも一度お読みになった方がいいですよ!目からウロコ本です!!」と宣伝して下さった。皆さんメモしていましたから、三冊くらいは売れたのではないかな?
帰り際この方に私のプライベートの名刺を渡したら、「エッ?雄造さんのお兄さんが著者でしたか!?サインしてください!」と相成った。嬉しかったねえ、帰りの新幹線は。こんなケースは初めてでしたから。後日この方から虎屋の羊羹が届きましたので、返礼に寒梅を送っておきました。アレッ?何でこんな話しになったのかな?まあいいか!たまには支離滅裂でも。
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