憲問第十四 377

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〔原文〕
子曰、驥不
其力、其徳也。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、()()(ちから)(しょう)せず、()(とく)(しょう)するなり。

〔通釈〕
孔子云う、「名馬というのは、生来の馬力が優れている馬のことを云うのではない。訓練と調教によって鍛えあげられた馬のことを云うのだ」と。

〔解説〕
何の記録もありませんが、これは子路が孔子を懲らしめてやろうと意気込んで孔家に押しかけて来た時に、孔子が子路に向かって発した言葉ではないでしょうか?「・・・其の徳を称するなり」の後に、『況於人乎・況んや人に於ておや』という文言があったのではないかと思いますが、伝承の途中で失われてしまったのではないか?どうもそんな気がします。

あったと仮定して意訳してみると、「名馬というのはその血統だけを云うのではない。調教の如何によって、名馬にもなれば駄馬にもなる。馬でさえそうなのだから、ましてや人間ならば尚更のこと、調教の如何によってどうにでもなるものだ!」と。これでスッキリするでしょう?人格の陶冶を馬の調教に喩えたものであることが。

〔子供論語 意訳〕

孔子
(こうし)
(さま)がおっしゃった、「名馬(めいば)というのは血統書(けっとうしょ)()まるものではない。訓練(くんれん)調教(ちょうきょう)によって()まるのだ。(うま)さえこうなのだから、人間(にんげん)であればなおさらのこと、本人(ほんにん)努力(どりょく)しだいでどうにでもなるものなのだよ」と。


〔親御さんへ〕
血統を云々するのは、皇室と競馬馬くらいのものかと思っていたら、インドでは未だにカースト制度の名残があって、バラモン(僧侶)・クシャトリア(貴族)・バイシャ(庶民)・シュードラ(奴隷)・ハリジャン(不可触民)の区別が根強く残っていると云う。

インドの憲法ではカーストは禁止されているのだが、異なるカースト間での結婚はタブーだそうで、私の友人の娘さんがそれを知らずインド人の男性(クシャトリアの家系)と付き合って妊娠した為結婚を迫ったら、バイシャ(商人)の子とは結婚できないと云ってインドに帰ってしまった。この娘さんはショックで自殺してしまいました。

父親はカンカンに怒ってインド大使館に質しに行った所、「それはお気の毒でした」と云ったきり、全く相手にしてもらえなかったといいます。インドでは当たり前のことだったんですね。

釈迦が輪廻転生を説いてカーストを否定した国で、血統による区分があるなんて?と不思議に思われるかも知れませんが、現在のインドに仏教は残っておりません。人口の大半がヒンズー教徒です。ヒンズー教は仏教以前のバラモン教と民間信仰が合体したものですから、精神文明が逆戻りしたと思えば良いでしょうか? ガンジーがあれ程カースト撤廃を叫んだにもかかわらず、未だに残っている所を見ると、一旦刷り込まれた固定観念を払拭するというのは、並大抵のことではないようですね、殊に宗教による刷り込みは。

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、仏教もヒンズー教も神道も、宗教という宗教を一度鼎の中に投げ込んで、グツグツ煮詰めて、宇宙時代に相応しい「地球教」に鼎新(ていしん)したらどうなのかねえ?そろそろ。

ヤハウェもエホバもアラーも同じ神様、同一神を主神(すしん)と崇めるユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒がいがみ合い殺し合っているなんて、モーゼもイエスもマホメットも、きっとあの世で泣いていますよ。
 

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