〔原文〕
子曰、不患人之不己知、患其不能也。
〔読み下し〕
子日わく、人の己を知らざるを患えず、其の不能を患うるなり。
〔通釈〕
孔子云う、「人が自分を知ってくれないなどと思い患う暇があったら、自分に人から知ってもらえるだけの人間的魅力がないのではないか?を心配するのが先ではないのかね!?」と。
〔解説〕
これもきつい一撃だねえ!ドキッとした人もいるんじゃないの?「な〜にも私の事を分かってくれない」などと云ってらんないねえ!?だから何度も云っているでしょう、人間知っているようで一番知らないのが自分自身なんだよ!と。それでも「イ〜ヤ、自分のことは自分が一番良く知っている!」と言い張るのであれば、勝手にそう思っていなさい。今度質問攻めにしてあげますから。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「君達は、人が自分のことを知ってくれないなどと心配する前に、人に知ってもらえるだけの実力を身につけなさい」と。
〔親御さんへ〕
「自分のことを誰も分かってくれない」と心配する子供に対しては、学而第一16章でお話ししましたから、そちらをご覧頂ければ良いとして、みっともないのは、大の大人が「誰も自分のことを分かってくれない」などと思い患う様ですね。
今迄は「そんなことないよ、君のいい所はみんなが知っているよ!」と、なだめたりすかしたりしたものですが、今後は孔子に見習って、「君に、人に知ってもらえるだけの魅力が何かあるのか?人の役に立ち喜ばれるようなことを何か実践しているのか?」と云ってみることにしますかな?
心で思っているだけでは何もならないんですよ、実践してみなければね。口でワアワア云ったって、行動で示してみなければ、誰も認めてくれないんです。それが世の中、大人の世界と云うものです。
379章で孔子は、「真に自分を知ってくれる者はいないな?・・・真に分かってくれているのは、きっと神様くらいのものだろう!?」と、半ば、嘆息、半ば誇らしげに語っておりますが、誰も分かってくれなくても、神様がちゃんと見ていて下さる、心配しなくていい。神様はすべてお見通し!などと云うと、却って心配になる人がいるかもね?面白いね、人間っていう生きものは。
|