憲問第十四 372

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〔原文〕
子曰、君子道者三、我無能焉。仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。子貢曰、

夫子自道也

〔読み下し〕
()(のたま)わく、君子(くんし)(みち)なるもの(みっ)つ、(われ)()くすること()し。仁者(じんしゃ)(うれ)ず、知者(ちしゃ)(まど)わず、勇者(ゆうしゃ)(おそ)れず。()(こう)(いわ)く、夫子(ふうし)(みずか)()うなり。

〔通釈〕
孔子云う、「君子たるの条件は三つあるが、私はそのどれもクリアーできていない。一は、仁者はくよくよ思い患うことがない。二は、知者はあれこれ迷うことがない。三は、勇者はおろおろ怖じけることがない。ということだが」と。

これを聞いた子貢は、「先生は謙遜しておられるが、とうにお出来になっていることは周知の事実だ。どれ一つ出来ていないのに君子面している我々をご覧になられて、気付きを促されたのだよ」と云った。

〔解説〕
結語の「夫子自ら道(い)うなり」という子貢の真意が何とも掴み辛く、しばらく考えておりましたら、編者がちゃんとそのヒントを次章に持って来てくれておりましたので、このように通釈させてもらいました。孔子の最大の理解者であった子貢が、「先生は謙遜してああいわれたが、とうにお出来になっている」程度のことは云わんでしょう、それ位のことなら弟子達は全員知っている訳ですから。


次章で子貢は、「何様のつもりだ!」と孔子に叱られている所を見ると、弟子達の中には、できもしないのに得々と君子面していい気になっている者が少なからずいたのでしょう。「コラッ!」と一喝して他律的に気付かせるのも良いけれど、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、それよりも、「これはいけない!」と自律的に気付かせた方が余程効き目がある。

孔子はこういうことを良く知っていたのでしょう、「私は何一つロクに出来ていない」と、自省自戒の姿を弟子の前に曝け出した。師のそういう姿を目の当りにすれば、弟子達は「先生があのように云っておられるのに、自分達は何と思い上がっていたのだろう!?」と恥入らざるを得ない。こういう気付かせ方もあるんですね、自省自戒の姿を曝け出すという・・・。それにしても孔子という方は、懐の深い人です。

尚、仁者と知者の順序が入れ替わっていますが、同様の文章が子罕第九238にもある所を見ますと、孔子は、「君子の条件は仁・知・勇」と常々弟子達に語っていたのではないかと思います。孫の子思はその著書「中庸」で、知・仁・勇を人間が共通普遍に修得すべき「三達徳」としております。

〔子供論語 意訳〕

孔子
(こうし)
(さま)がおっしゃった、「リーダーは、一に(なや)んでもくよくよしない、二に(まよ)ってもふらふらしない、三に(こわ)くてもおろおろしない。ということだが、中々(なかなか)(むずか)しいことだね」と。
これを()いた弟子(でし)()(こう)は、「私達(わたしたち)から()たら先生(せんせい)はどれもマスターしているよに()えるけれど、簡単(かんたん)なことではないんだな!?」と()った。

〔親御さんへ〕
これは本当に簡単なことではありません。人のことはよく見えるけれども、自分のこととなると明き盲ですから、悩んで蟻地獄でもがいたり、迷って迷路をさまよったり、怯えて漆黒の闇でうち震えたりする。程度の差こそあれ、これは年相応・分相応に誰もが経験することですね。誰もが経験するということは、その経験を通してそこに大切な学びがあるってことでしょう?魂の器を大きくする為の!


ここは一つはっきり云っておきましょう、大きな悩みや迷いや怖れの正体はあなたのカルマです、前世から持ち越して来た業(ごう)、つまり、あなたの魂に突き刺さったピンです!

だから孟子は云ったんです、「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ずまず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしむ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行なう所其の為さんとする所に拂乱せしむ。心を動かし、性を忍ばせ、其の能くせざる所を増益せしむる所以なり。人恒に過ちて、然る後に能く改め、心に困(くる)しみ慮りに衡(よこた)わって、而る後に作(おこ)り、色に徴(あら)われ、声に発して、而る後に喩(さと)る」と。

棒線の「其の能くせざる所」がカルマ、則ち、魂に突き刺さったピンということですね。一人一人みな違う所にピンが刺さっておりますから、自分のピンは自分で抜く他はない。悩みや迷いや怖れという心の作用を通して、ピンの在処(ありか)を教えてくれている訳です。ですから、自分をごまかさず、どんなことでなぜ悩み・迷い・怖れているのか?その根っこを突き止め、掘り起こし、抜き取る。

根の浅いピンもあれば、根の深いピンもある。一日で抜ける根もあれば、一生かかってやっと抜ける根もある。十年かかろうが一生かかろうが、今世抜かなかったら又来世に持ち越して、更に苦しい思いをすることになる。カルマの全くない人は一人もおりません。カルマの解消ということも、人生の大きな目的の一つであるのですね、魂進化の為の。ことカルマの解消については、誰も代わってやることが出来ないのです。

自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければならない!原因結果の法則は何人と雖も晦ますことができない!今世のみならず転生を通して。これが宇宙を貫く絶対法則なんです。こんなこと誰も教えてくれなかったでしょう?今日はいい勉強をしましたね!
 

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