〔原文〕
子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。
〔読み下し〕
子日わく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。
〔通釈〕
孔子云う、「昔の学者は自己の修養の為に学問をしたものだが、今の学者は世に知られんが為にやっている」と。
〔解説〕
孔子の時代から既にこういうことがあったんですね・・・。佐藤一斎は言志四録の中で、『学は己の為にするを知るべし。これを知る者は必ず之(学問)を己に求む。これ心学なり』と述べ、更に『今の学者は隘(あい)に失わずして博に失い、陋(ろう)に失わずして通に失う。(今の学者は学問が狭いために失敗するのではなく、博いためにかえって失敗している)』と述べておりますが、要は知識の量ではなく、本質を深く掘り下げるのが学問の目的ということでしょう。
知識の獲得は物事の本質を追及する為の手段ってことですね。これは読書にも云えるのではないでしょうか?洪自誠は菜根譚前集第五十六章で、『書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧(えんざん)の傭(よう)となる。(古人の書物読んでも、字句の解釈だけで肝腎の聖賢の心に触れなければ、単に文字の奴隷となるに過ぎない)』と云っている。
当会も「鉛槧の傭」とならぬよう、「心学」を心掛けたいものです。知識の豊富な人は掃いて捨てる程おりますが、本質を見抜く眼力を持った人はそう多くはおりません。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「昔の学生は自分を磨くために一所懸命勉強をした。今の学生は、いい学校に行っていい会社に入るために勉強をしている。社会に出ていい仕事をすることと、いい学校を卒業することとは何の関係もないのだが、何か勘違いしているね」と。
〔親御さんへ〕
ここで云ういい学校・いい会社とは、有名校・有名企業のこと、いい仕事とは、中身の充実した立派な仕事と考えて頂いて結構です。社会に出ていい仕事をしている人をじっくり観察しておりますと、不思議に共通していることが五つ程あります。
一は、仕事に関することは勿論、仕事以外での経験知・体験知の量と質が
抜群に豊富で高度である。
二は、仕事観と人生観が一致している、つまり、自分の使命は何か?
立場上の使命と人生上の使命が合一されている。
三は、仕事以外の高尚な楽しみ、つまり、「壺中の天」を持っている。
四は、偉ぶらない、つまり、非常に謙虚である。
五は、人の面倒見が良い、つまり、人の縁を大切にする。
どれもこれも学歴とは何の関係もないことばかりです。手本にするなら、こういう人を手本にしたら良い。心眼をカッと開いて見回してみれば、あなたの身近に必ず一人位はいる筈です。それの分からない人を、明き盲と云うんです。
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