〔原文〕
蘧伯玉、使人於孔子。孔子與之坐而問焉、曰、夫子何爲。
對曰、夫子欲寡其過而未能也。使者出、子曰、使乎使乎。
〔読み下し〕
蘧伯玉、人を孔子に使いせしむ。孔子之と坐して問うて日わく、夫子何をか為す。対えて曰わく、夫子は其の過ちを寡くせんと欲して未だ能わざるなり。使者出ず。子日わく、使なるかな、使なるかな。
〔通釈〕
衛の大夫蘧伯玉が孔子に使いをよこした。孔子はこの使者に席をすすめて、「蘧伯玉殿は近頃いかがお過ごしですか?」と問うた。使者は、「はい、主人は知らずに犯す過ちを極力減らそうと心掛けておりますが、中々できぬと反省しきりです」と答えた。使者が退席した後で孔子は、「主(あるじ)が主なら、使者も使者で立派なものだなあ!」と感嘆した。
〔解説〕
衛の大夫蘧伯玉のことが、前漢の淮南王(わいなんおう)劉安が学者に編纂させた「淮南子(えなんじ)」という書物に、
『蘧伯玉行年五十にして四十九年の非を知る』
(五十になった時、それ迄の四十九年間を振り返って深く反省した)
『六十にして六十たび化す』
(六十になった時は、六十回も生まれ変わったように生新な人であった)
と載っておりまして、生涯反省―改過―新生を実践した立派な人物だったようです。孔子が衛に滞在していた時は、この人が何かと生活の面倒をみておりまして、九十数才迄生きたと云いますから、随分長命な方だったようです。反省―改過―新生という蘧伯玉の生き様に、孔子も教えられることが多々あったのでしょう、「主人が主人なら、使者も使者で立派なものだ!」となった。
死ぬ迄ボケずに長生きするには、反省―改過―新生が欠かせないようです。禅宗の坊さんはボケずに長生きすると聞きますが、案外こんな所(反省冥想)にその秘訣があるのかも知れません。
反省だけではか弱き善人になってしまうし、新生だけでは極楽トンボになってしまう。間に改過が要る。人生の一大要訣は、反省―改過―新生―反省―改過―新生の繰り返しってことですね。人間は知って犯す過ちよりも、知らずに犯す過ちの方が断然に多い生きものですから。
〔子供論語 意訳〕
孔子様の古い友人で衛国の大臣を務めている蘧伯玉が使者をよこした。孔子様はその使者に席をすすめて、「ご主人様は最近どうしておられますか?」と質問した。使者は、「はい、主人は自分がいやなことは極力人に仕向けないよう気を配っておりますが、中々それができないと、日々反省しております」と答えた。使者が帰った後で孔子様は、「主人が主人なら家来も家来で、立派なものだなあ」と感心された。
〔親御さんへ〕
「親が親なら子も子」、「社長が社長なら社員も社員」、「師が師なら弟子も弟子」等々、良い場合にも悪い場合にも使いますが、孔子は蘧伯玉の使者の応対辞令にどうして「立派なものだ!」と感心したのでしょうか?普通、「社長さんは近頃どうしておられますか?」と問われたら、「はい、お陰様で元気に多忙な日々を送っております!」とか、ちょっと気のきいた所では、「はい、最近論語に学ぶ会に入って勉強しているようです!」と、表面的で無難な答えをするのが一般的ではないでしょうか?間違っても、「はい、相変わらず日々資金繰りに追われています!」などと、本当のことは云わんでしょう。
この使者のように、「はい、社長は知らずに犯す過ちを極力減らそうと努力しております」などという返答は、場合によっては(その相手が自己中心的で驕慢な人であった場合)、猛烈なイヤミになってしまう恐れがあります、「何だこいつは!当て付けか?」と。人を見てものを云わないと、礼を失してしまうことがある。
だから大概当り障りのない無難な返事をする訳ですが、この使者は違っていた、つまり、孔子の人柄をちゃんと見抜いた上でこのような返答をしている訳です、こういうことを云っても孔子は不快に思わない、否、むしろ喜んでくれるだろうと。
孔子と主人との間柄をよく知っており、孔子の人柄を知った上での発言だった訳ですね。この使者が、孔子の衛滞在中から知っていた人物ならば、論語に名前が残った筈ですが、恐らくこの時が初対面だったのでしょう、編者は遽伯玉の使いとしてしか記していない。だから孔子も感心したんです、「初対面にしては大したものだ!」と。
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