〔原文〕
子曰、士而懐居、不足以爲士矣。
〔読み下し〕
子日わく、士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず。
〔通釈〕
孔子云う、「いやしくも公務に携わる者(役人)が、自分の家庭生活の安楽を最優先に考えるようでは、役人の風上にも置けないな」と。
〔解説〕
孔子がこのように語っている所を見ると、2500年前にもマイホーム主義の役人が既に居たということですか・・・。マイホーム主義それ自体が悪いということではないけれど、家庭生活を営む為の糧(かて)を、国民の税金から得ている訳だから、得るなら得るに相応しい内容の仕事をしてもらわなければならんのは当たり前のことです。今、国・地方を問わず国民から厳しい目が役人に向けられているのも、給与や待遇に相応しい仕事をやっているのか!?やるべきことをちゃんとやっているのか!?という、役人不信が根底にあるからでしょう。
役人の給与はラスパイレス指数と云うもので決まるそうですが、はっきり云って、これは成果のある無しに関係なく支払われる「身分給」みたいなものでしょう?行き過ぎた成果主義は人間をダメにするけれども、成果に関係のない身分給はもっと人間をダメにする。自己責任を問われない環境に置かれると、自助努力しなくなる習性があるんです、我々凡人は。自助努力しなくなると、組織には自浄作用が働かなくなります。自浄作用が働かなくなると、組織も個人も腐るんです。
ところが、内部に居ると中々これが分からないんですね、ジワリジワリと全員一緒に腐って行くから。第三者の目で自分を見つめられれば良いのですが、これが又難しい。そこで、この第三者の目に相当するのが「人事院」ということになる。民間企業で云う「監査役」兼「コンサルタント」のようなものですね。
人事院は内閣直属の特殊機関の筈ですから、事務員以外のスタッフは全員トヨタかキャノンのOBを雇って、業務改革ならぬ「公務改革」をガンガン指導・勧告したらどうでしょうか?日本の公務員は世界一優秀ですから、あっという間に「役所看板方式」を作り上げてしまうのではないかな?志さえあれば。
〔子供論語 意訳〕
孔子様がおっしゃった、「公務員は、その場の安楽・目先の損得に振り回されてはいけません。長い目で、広い心で公務に臨みなさい!」と。
〔親御さんへ〕
高校の必修科目の未履修が発覚して、世間を騒がせておりますが、これに対する伊吹文科大臣の「正直者がバカ(損)を見ることのないよう、厳正に対処しなければならない」なる発言を聞いて、何か変だな?と感じた方がおられるのではないでしょうか。
伊吹大臣は、ちゃんと履修した生徒を正直者に喩えたのでしょうが、この子達がバカを見るとはどういうことなのか?受験科目に関係あろうがなかろうが、高校生として必須の知識を習得する機会を得たのだから、これを素通りしてしまった子供達に比べて、得をしたことになるのではないか?日本史でも世界史でも地理でも、教わらなかった生徒に比べて、将来の知的糧になったのではないか?
必修科目の時間を受験科目用に当てれば、確かに目先はその時間分得したように見えるかも知れないが、受験の為にやった勉強など、大学に入ってしまえばあっという間に忘れるし、社会に出ても殆ど役に立たない。受験受験と騒いでみても、二十才過ぎればタダの人でしょ?大抵は。
これに比べ必修でやった科目は、赤点取れば追試でいじめられるし、出来なければ卒業させてくれないから、最低限は必死で覚えなければならない。「大河ドラマ」や「その時歴史は動いた」や「世界不思議発見」が面白いのは、その時の下地があるからではないのかな?「アッ!これ知ってる!!」と。
皆さんがこうして論語を楽しく学べるのも、漢文の時間に嫌々何章かを暗記させられたからではないのでしょうか。嫌なことを経験してみなければ、本当に好いことは分からんものです。受験には不要でも、若い時に学んだことは、きっかけさえあれば一生楽しめるじゃないですか!歴史でも漢文でも音楽でも美術でも書道でも・・・。
ですから、人生という長い目でみれば、ちゃんと履修した生徒達(正直者)は、うんと得したことになるんですよ。それにしてもオカシナことを云う人だね、伊吹大臣は。その場の安楽・目先の損得に振り回されているんじゃないのかね?教育には百年の計が要るんだがねえ。
ところで、今問題になっている「ゆとり教育」の元凶、“ミスターゆとり”こと
K.Tはどうしているのかねえ?文科省の外郭団体に天下って5000万の退職金を貰ったそうだけれど・・・。未履修問題は、この男が進めたゆとり教育が原因なんですよ。
|