〔原文〕
克・伐・怨・欲、不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也。
〔読み下し〕
克・伐・怨・欲、行なわれざる、以て仁と為すべきや。子日わく、以て難しと為すべし。仁は則ち吾知らざるなり。
〔通釈〕
原憲は更に、「闘争心や慢心や怨み心や貪欲な心を取り除くことができたら、仁者と云えるでしょうか?」と問うた。孔子は、「それは難しいぞ!できたら素晴らしかろうが、それだけで仁者と云えるかどうかとなると、何とも云えないな!?」と答えた。
〔解説〕
克とは「相手をうち負かそうとする心」、伐とは「自慢する心・自惚れの心」、怨とは「人を怨む心・憎む心」、欲とは「貪欲な心・利己的な心」と考えて良いでしょう。これらは大なり小なり誰にでもあるものですが、克そのもの、伐そのもの、怨そのもの、欲そのものが悪なのか?本来あってはならないものなのか?というと、必ずしもそうとは云い切れない。
克が全くなかったら、強きを挫き弱気を助ける義侠心さえ起こらなくなる。
伐が全くなかったら、神の子人間としての誇りを失ってしまう。
怨が全くなかったら、理不尽なことに対する義憤を覚えなくなる。
欲が全くなかったら、向上意欲も湧かなくなる。
克も伐も怨も欲も、みな感情エネルギーの一種ですから、善い方に向かえば善となり、悪い方に向かえば悪となる。善も悪も紙一重、要は本人の自由意志による選択次第。「それだけで仁者と云えるかどうかとなると、何とも云えないな!?」と、含みを持たせた孔子の答えには、なるほどなあ!と懐の深さを感じます。
ここが我々凡人と違う所ですね、我々凡人は、ものの一面だけ見て善いものは善い!悪いものは悪い!と決め付けてしまいますから。
〔子供論語 意訳〕
さらに原憲は、「争ったり・威張ったり・人を憎んだり、欲張ったりしなければ、一人前といえるでしょうか?」と質問した。孔子様は、「人の嫌がることをやらないというのは良いことだが、それだけではまだ半人前だ。自分がこうありたい、ああなりたいと思うことは進んで人にやってあげる、たとえば、争わないだけでなく進んで助けてあげる・威張らないだけでなく進んで褒めてあげる・憎まないだけでなく進んでいたわってあげる、欲張らないだけでなく進んで分けてあげる。これができればようやく一人前だ!」とおっしゃった。
〔親御さんへ〕
私達は皆一人前面(づら)して生きているけれども、本当の所は半人前にも行っていない、というのが実情ではないでしょうか?人にこうして欲しい、ああして欲しいと要求するのは得意だけれども、自ら進んでこうしてあげたか?ああしてあげたか?となると、堂々と胸を張れる人は案外少ないのではないでしょうか。
前回、三十過ぎてもさっぱりモテない男共の話しをしましたが、モテない理由はギラギラ・モソモソ・ネチネチだけではないんだね。それもあるけれども枝葉末節、他にもっと根本的な理由があるんです。「愛して欲しければ、自らもっと深く愛しなさい!」、「燃えて欲しければ、自らもっと熱く燃えなさい!!」、愛は感情エネルギーの中で最大のパワーを持つ波動です。
エネルギー(熱)は高きから低きに流れます。低きから高きには絶対に流れません。モテない人と云うのは、愛のエネルギー量が足りないんです(愛欲(エロス)ばかりで愛徳(アガペー)が足りない)。与えることよりもらうことばかり考えているんですね。だから彼女が去って行くんです、「この人と一緒に居ると、エネルギーを吸い取られてしまう」と。
ならば、モテない男がどうやったらモテるようになるか?もう分かりましたね。愛のエネルギー量を上げれば良い、特にアガペー(愛徳)のエネルギーを!アガペーのエネルギー量を上げるには、「自分がこうありたいああなりたいと思うことは、まず人にやってあげよ!すべて人にせられんと思うことは、人にも又その如くせよ!!」、もらうことよりも与えることを優先せよ!要求することよりも奉仕することを優先せよ!自分のことよりも相手のことを優先せよ!「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ!」プラス「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す!」、これでモテる男の一丁上がり!!
「もう勘弁してくれ〜!」と云いたくなる程女(おなご)が鈴なりになる。どうだ?君!こうなってみたくないか???「でも〜?」 だの
「〜って云うか〜?」だのと四の五の云わず、まずやってみなさい!ああ、それからもう一つ大切なことを云い忘れていた、アタックする時は、「一押し二押し三に引く」だよ。いいね!押しまくるだけが能じゃないんだよ。えっ?引いて引きっぱなしになったらどうしよう!?だって?その時は潔く諦めなさい!
潔いのもモテる秘訣、しつこいのはダメ。
アレッ?何で論語の講義で女にモテる秘訣を伝授しなきゃならんのかねえ?まあいいか、君のような人が他にも何人かいるようだし、そういう人にとっては福音になるかも知れん・・・・(と、しばし考え込む私でした)。
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