子路第十三 325

上へ

〔原文〕
子曰、苟正其身矣、於從政乎何有。不能正其身、如正人何。

〔読み下し〕
()(のたま)わく、(いやしく)も、()()(ただ)しくせば、(まつりごと)(したが)うに(おい)(なに)()らん。
()()(ただ)しくすること(あた)わずんば、(ひと)(ただ)しくすることを如何(いかん)せん。

〔通釈〕
孔子云う、「もし自分の身(行ない)を正すことができれば、国の政治に従事することくらい何の面倒があろうか。自分の身すら正すことができなくて、どうして人を正すことができようか」と。

〔解説〕
318
章と同義の文章と思われますが、顔淵第十二305章「政は正なり」・政(まつりごと)= 正(ただしく)+攵(ととのえる)ということですね。


〔意訳〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「もし自分(じぶん)自身(じしん)(おこ)ないを(ただ)しくすることができれば、政治家(せいじか)になっても、ちゃんとやって()ける。自分(じぶん)自身(じしん)(おこ)ないを(ただ)しくすることができないのに、政治家(せいじか)になったとしても、(ひと)(ただ)しく()(どう)することなどできるわけがない」と。

〔親御さんへ〕
これは政治家のみならず、人を指導する立場にある者にとって大前提、指導者の条件と云って良いですね、「身を正す!」というのは。「そんな面倒臭い指導者などまっぴらご免!」などと思ったら大間違いでありまして、一生のうちで指導的立場に立たない人間など一人もいないんです。規模の大小は違っても。

何故ならば、後輩が一人もいない人間など存在しないから。自分より後から生まれた人は皆後輩で、あなたはその人達にとって先輩です。先輩が後輩の指導をするのは当たり前の話。結婚して子供ができればあなたは親になる。親が子を指導するのも当たり前の話。

指導者の大前提は「身を正す!」こと。後輩は先輩を見習って育ち、子は親を見習って育つ、これは太古の昔から変らない。この地上にオギャーと生まれたからには、人は指導的立場に立つことを宿命づけられている存在なんですね、万人が。これも地球学校での重要な学びの一つなんです、「身を正す」つまり、反省一 改過は。

ただ、世の中には反省しないと云うか、反省の苦手な人がいることも確かです。そういう人の為にも、ちゃんと反省できるようなバックアップシステムが用意されているんですね、この地上には。のほほんと過ごしていても、人生のどこかで必ず自己を省みて身を正さざるを得ないようなシーンがちゃんと仕込んである。失恋・失敗・挫折・失業・大病・倒産・離散等々…。

こういうのはみな嫌なことばかりだけれども、この世は「原因結果の法則」下にありますから、必ずどこかに原因がある。今世とは限らず前世で作った原因かも知れない。それに気付かせる為にあるんですよ、こういう嫌なことが。自分が蒔いた種は、必ず自分で刈り取らねばならないようになっている。仕方ないねこれは、神様が決めたことだから。誰も逃れられないんです、「カルマの法則」からは。
 

子路第十三 324 子路第十三 325 子路第十三 326
新論語トップへ