〔原文〕
子曰、如有王者、必世而後仁。
〔読み下し〕
子日わく、如し王者有らば、必ず世にして後に仁ならん。
〔通釈〕
孔子云う、「もし真の王者が現れたならば、一世代(30年)はかかるだろうが、間違いなく人々に普く仁風(じんぷう)を根付かせることができるだろう」と。
〔解説〕
真の王者が治めても、仁風「穏やかな気風」を根付かせるのに一世代(30年)かかるとすれば、前章の善人ならば、三代継承して百年かかるのも、無理もないと云った所でしょうか。
仕事柄、「ワンパターンでマンネリ化した社風を一新したいのだが?」という相談を受けることがあります。こういう場合は必ず、「社長!あなた自身が変われますか?習慣を変えられますか?心を変えられますか?」と問うことにしているのですが、その時の反応に大体三通りのパターンがあります。
一は、「私ではなく従業員を変えて欲しいのですが!?」と云うタイプ。
これはまず100%ダメですね、「縁なき衆生は度し難し」と
いって、あのお釈迦様でさえどうにもならないと云っている。
二は、「エッ?私がですか…?ウーム!?」と考え込むタイプ。
これは五分五分。
三は、「どうしたら変えられるでしょうか?是非教えて頂きたい!」と云う
タイプ。これは大概うまく行く。
孔子が尊敬していた人物に、衛の大夫で遽伯玉(憲問第十四及び衛霊公第十五で登場する)という人がおりますが、彼は、「遽伯玉、行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十たび化す」と云われる程、いくつになっても、己を省みて自己変革を怠ることがなかったと伝えられている。
現代で云えば、七十八十になっても反省と改過を怠ることなく、死ぬ迄進化し続けた人物、と云って良いでしょうか。三番目のタイプは、この遽伯玉型の人ですね。たとえ仕事は引退しても、人生は死ぬ迄引退できんのだから、人は誰でも棺桶に入る迄は現役なんですね。何の現役かと云えば、自己変革・魂進化の現役なんです、人は死ぬまで。
〔意訳〕
孔子様がおっしゃった、「偉大な王様が登場して国を治めることになったとしよう。国民一人一人に他人を思いやる心(仁)を植えつけるには、一体どれくらいの年月が必要かというと、まあ30年はかかるだろうね」と。
〔親御さんへ〕
徳はすべて仁ベース(土台)、仁あっての義、仁あっての礼、仁あっての知、仁あっての信である!とは繰返し述べて来たことでありますが、すべての土台である仁の基礎を固めるのに、真の王者であっても30年はかかると孔子は云います。孔子は自らを真の王者にダブらせて語っているのではないかと思われますから、「私であっても30年はかかる」ということでしょう。
何度も紹介している、19世紀スイスの哲学者、アンリ・フレデリク・アミエルの箴言
心が変れば態度(ものの見方)が変る→態度が変れば習慣が変る→
習慣が変れば人格が変る→人格が変れば人生(運命)が変るとは、
30年間これをやり続けてみろ!少しはマシな人間になれるから!!ってことでしょうかね。この世は「原因結果の法則」で支配されておりますから、心が原因−習慣が条件−人生が結果ということになる。やはり心(原因)が変らなければ、人生(結果)は何も変らないってことですね。
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