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原文
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作成日 2005年(平成17年)10月から12月 |
子路問、聞斯行諸。子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之。
冉有問、聞斯行諸。子曰、聞斯行之。公西華曰、由也問、
聞斯行諸、子曰、有父兄在。求也問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之。
赤也惑、敢問。子曰、求也退、故進之。由也兼人、故退之。
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〔 読み下し 〕 |
子路問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。子日わく、父兄の在すこと有り、之を如何ぞ、其れ聞くままに斯れ諸を行わんや。冉有問う、聞くままに斯れ諸を行わんか。子日わく、聞くままに斯れ諸を行え。公西華日わく、由や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子日わく、父兄の在すこと有りと。求や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。子日わく、聞くままに斯れ諸を行えと。赤や惑う。敢えて問う。子日わく、求や退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く。
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〔 通釈 〕 |
子路が、「善いことを聞いたら、そのまま実行に移しても良いでしょうか?」と問うた。孔子は、「父兄がおられるのだから、その意見をよく聞いてからにしなさい。どうして勝手に実行してよかろうや!」と答えた。冉有も同じように、「善いことを聞いたらすぐさま実行してよろしいでしょうか?」と質問した。孔子は、「善いと思ったことはすぐさま実行しなさい!」と答えた。
これを側で聞いていた公西華は、同じ質問に対して孔子が正反対の答え方をしたのを不思議に思い、「由先輩が、善いことを聞いたらすぐ実行してもよろしいかと質問した時、先生は、父兄の意見をよく聞いてからにしなさい!とお止めになり、求先輩が同じ質問をした時は、すぐ実行しなさい!と薦められましたが、先生がなぜ正反対のお答えをされたのか、私にはさっぱり分かりません。敢えてお教えいただけませんでしょうか?」と尋ねた。
これに対して孔子は、「求は引っ込み思案の所があるから、すぐやれ!と進めた。由は出しゃばる所があるので、ちょっと待て!と引き止めたのだよ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
相手の機根や性分に合わせて法を説くことを「対機説法」と申しますが、雍也第六141章に「中人以上には以て上(かみ)を語るべきなり。中人以下には以て上を語るべからざるなり」とあったように、生れた時は全員ゼロからスタートするけれども、生れてからの身・口・意の習慣や教育の如何によって、上根にもなれば下根にもなってしまいますから、上根も中根も下根も十把一洛にして、ワンパターンで語ってもダメなんですね。
上根の人に対して下根の人に話すような内容を語れば、「こいつはアホか?」とバカにされてしまうし、下根の人に対して上根の人に話すような内容を語れば、「さっぱり分からん?」と眠気を誘ってしまう。「人を見て法を説く」というのは、差別心からそうしているのではなく、親切心でやっているんですね。
ところであの人、大丈夫かなあ?毎回熟睡しに来ているようだけれど・・・。当会は「快眠塾」じゃあないんだけどねえ・・・・・、まあいいか!?最近はイビキをかかなくなったから。きっと毛穴で聞いているんでしょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
子路が、「よいことを聞いたら、すぐさま実行していいでしょうか?」と質問した。孔子様は、「親と相談してからにしなさい!」とおっしゃった。冉有も「よいことを聞いたら、すぐさま実行していいでしょうか?」と同じ質問をした。孔子様は、「すぐさま実行しなさい!」とおっしゃった。同席していた公西華は、同じ質問に対して孔子様が正反対の答え方をしたことを不思議に思い、「子路先輩に対しては、親と相談してからにしなさい!とお答えになり、冉有先輩に対しては、すぐさま実行しなさい!と、正反対のお答えをされましたが、どうしてなのでしょうか?」と質問した。これに対して孔子様は、「冉有はいつもグズグズしているので、すぐやれ!と後押しした。子路はおっちょこちょいだから、ちょっと待て!と制止した。性格の違う人にワンパターンのことをいってもダメなんだよ。それぞれの性格に合ったアドバイスをしなければ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
「性格の違う人にワンパターンのことを云ってもダメ。それぞれの性格に合ったアドバイスをしなければ」とは、大変難しい。それぞれの機根や性分に合わせて「対機説法」ができるようになれば一人前、と云われますが、その際よく使われるものに、「一転語」があります。
人は、言葉や行為の外に、思いにもその人独特の癖と云うか傾向性のようなものがありまして、中々自分ではそこに気がつかない。例えば、何事につけ悲観的・否定的に考えてしまう人も居れば、楽観的・肯定的に考える人も居る。消極的な人も居れば、積極的な人も居る。疑り深い人も居れば、信じ易い人も居る。「思いの習慣」がその人の性格を形作りますから、厳密に云えば、どんな性格になろうが他人のせいではない、自己責任です。
ヒネクレた性格か素直な性格か?ネクラかネアカか?意地悪か親切か?偏狭か寛宏か?これは誰のせいでもない、自分自身の責任です。自分の性格は、普段は中々気が付かないものですが、よくしたもので、人生のどこかで(喩えば、失恋・挫折・失敗・病気・離別・解雇・倒産等、意に反する出来事と遭遇した時)必ず気づかされるようになっている。
実はこれは、「矯め直せ!」というシグナルなのですが、絶望のどん底にある人にアレコレお説教しても効き目がないし、貸す耳を持たない。急患のようなものですから、取敢えず応急処置をしなければならない。その時に威力を発揮するのが一転語、つまり「思いをクラリと一転させるようなワンフレーズ」なんですね。
「ついてる!ついてる!と朝晩唱えなさい!」とか、「長所を伸ばせば欠点は消える!」とか、「朝の来ない夜はない!」とか、「なんとかなるさ、ありがとう!」とか、「苦難は悪しきカルマが消えて行く標し!」とか・・・。一転語は、それ以上の転落を防ぐ為の応急処置であって、根本療法ではありませんから、効果のあるのはせいぜい三ヶ月、長く持って半年くらいのものです。
根本はやはり「矯め直し」、徳を磨き徳を積むことです。ただどういう訳か、この「矯め直し」は好かれないんだね、「悔い改め(反省・改過)」には勇気とやる気と元気と根気が要るからね。安直に、「一転語のハシゴ」をしていた方が楽ですからね。
だから、一転語を売り物にした講演はどこでももてはやされますが、「矯め直せ!」などと云う話しを熱心に聴いてくれる人は滅多にいない。まあ、当会会員と、ホームページを覗いて下さる方くらいのものでしょうか。本当はこちらが本筋、一転語は末節なんですが、みんな楽して儲けたり、楽して成功したいんだね、ある筈がないのに。
現世利益を求めて、神様のハシゴをする人もいる時代だから、一転語のハシゴをする位は、まあいいか!?近頃どういう訳か、「まあいいか!?」と思うことが多くなりました。「耳順(じじゅん)・みみしたがう(六十才)」が近づいたせいでしょうか?「耳順とは、まあいいか!?と思うことと見つけたり!」って所ですかな?
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