〔
原文
〕 作成日 2005年(平成17年)10月から12月 |
子畏於匡。顔淵後。子曰、吾以女爲死矣。曰、子在。回何敢死。
|
〔 読み下し 〕 |
子、匡に畏す。顔淵後れたり。子日わく、吾女を以て死せりと為す。日く、子在す。回何ぞ敢えて死せん。
|
〔 通釈 〕 |
孔子一行が衛を去り陳に行く途中で匡に差し掛かった時、かつてこの地で乱暴狼藉を働いた陽虎と間違えられて、殺されそうになったことがある。その時、顔淵が逃げ遅れて一行からはぐれてしまったが、やっとのことで追い着いた。孔子は顔淵の無事を見て、「私はてっきりお前が死んだものかと思ったよ」と云って喜んだ。顔淵は、「先生が元気でおられますのに、どうして私が軽々しく死ねましょうか」と云った。
|
〔 解説 〕 |
災難に遭った時の関連文章が子罕第九213章にありますので、参照のこと。「子在す。回何ぞ敢えて死せん」とは、顔回の偽らざる思いだったのでしょうが、残念ながら、顔回は41才の若さで孔子より先に死んでしまいます。栄養失調による免疫不全で急死したのではないかと思います。闘病生活が続いた末の死であれば、雍也第六130章で、癩病の冉伯牛を見舞った時の記録のように、顔回を見舞った際の様子が何本も論語に残されている筈ですが、何も記されていない。271章で「天予を喪ぼせり!天予を喪ぼせり!」と叫ぶ程ですから、全く予期せぬ突然死だったのでしょう。
|
〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様一行が匡という国で襲われて、逃げ後れた顔淵が一行からはぐれてしまった。殺されてしまったのではないかと皆が心配していた所に、やっとのことで追いついた顔淵の元気な姿を見た孔子様は、「おお、生きておったか!私はてっきり君が殺されたのではないかと思ったよ。よかったよかった!!」と抱き合って喜んだ。顔淵は、「先生の目の黒いうちに、どうして私が死ねましょうか」といった。
|
〔 親御さんへ 〕 |
「目の黒いうち(存命中)」という言葉の意味が小学生にわかるかな?と思って孫に聞きましたら、「わからない」と云うので、「人の目玉は生きているうちは黒いが、死ぬと白く濁るんだよ」と説明しますと、「ふ〜ん、そうなんだ。だったらカナダ人は、目の青いうちって云うんだね!?」と云う。「どうして?」と問いますと、「だってデーヴの目は青いから(娘のボーイフレンドで、テーヴッドという青い目のイギリス系カナダ人。何度も家に遊びに来ている)」と来た。
「ウームッ??」と答えに窮してしまいましたが、英語にこのような喩えがあるのかどうか?例文を調べてみましたら、“while
alive・生きている間は”がこれに該当するとありましたので、孫を呼んで、「白人は青い目の人ばかりじゃなくて、灰色や茶色や緑色や黒い目の人もいる。
だから目の黒いうちにとか目の青いうちにという言葉はない。生きている間はと、ストレートに云う。英語で云うと、ホワイル アライヴって云うんだよ。ホワイルは間、アライヴは生きているという意味だね」と申しますと、「すごいねジッタン!何でも知っているんだね!!」ってなことになって、年甲斐もなくテレてしまったジイサンでありました。
|