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原文
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作成日 2005年(平成17年)7月から9月 |
色斯擧矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉、時哉。子路共之。三嗅而作。
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〔 読み下し 〕 |
色みて斯に挙り、翔りて而して後に集まる。曰わく、山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
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〔 通釈 〕 |
『色みて斯(ここ)に挙り、翔(かけ)りて而る後に集(とど)まる』・(鳥は人の気配を察知してさっと飛び上がり、空中を翔けめぐりながら、適当な所を探してひらりと舞い降りる)という詩がある。
孔子が子路を伴って山中を散策していた時、山の架け橋に止まっていた雌の雉を見てふとこの詩を思い出し、「山梁の雌雉と雖も、ちゃんとタイミングを心得ているものだ」と云った。
これを聞いた子路が試しに糧を投げ与えたところ、確かに雉は三度匂いを嗅いだだけで、さっと飛び去った。
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〔 解説 〕 |
この章の解釈には面白い説がありまして、“孔子が「時なるかな、時なるかな」と云った意味を、子路が「丸々と肥え、脂がのって旨そうだな」と受け取り、その雉を捕まえて料理し食膳に供した。孔子は三度匂いを嗅いだだけで、箸をつけずに席を立った”としている。(古注はこの解釈)
間違いではないけれど、こう解釈すると、編者が何故わざわざ『色みて斯に挙がり、翔りて而る後に集まる』なる詩をこの章の枕に置いたのか、意味がなくなります。冒頭で鳥のすばしこさを謳っておきながら、後半では、子路に易々と捕まってしまうようなとろい雉の話をしていることになりますから、辻褄が合いませんね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
『鳥はすばしこい生き物で、人の気配を感じるとさっと飛び去り、気配がなくなるとひらりと舞降りる』という古い詩がある。孔子様が弟子の子路と一緒に山中を歩いていた時、山の架け橋に雌の雉が止まっているのを見てこの詩を思い出し、「あの雉もきっとすばしこいぞ!」とおっしゃった。子路は試してみようと思い、持っていた米粒を投げ与えてみると、案の定雉は三度においをかいだきり、さっと飛び去ってしまった。
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〔 親御さんへ 〕 |
狩猟に関して、当時既に獲って良い時期や獲って良い種類の細かい決まりごとがあったようです。私ごとで恐縮ですが、家の前が鳥屋野潟で雉がよく来ますので、今度子路を真似て、米粒でも与えてみますかね?運良く捕まえたら、じゅこう庵で「雉鍋パーティー」でもやりますか!あれ保護鳥じゃないでしょ?向いのコーヒー豆屋の親父さん、よく獲って食べてますけど・・・。(これは冗談)
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