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原文
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作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不爲酒困。何有於我哉。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、出ては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢て勉めずんばあらず。酒の困を為さず。何か我に有らんや。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「出仕しては政府の高官に精一杯仕え、家にあっては父兄に精一杯仕える。葬儀があれば一所懸命手伝い、振る舞い酒で乱れることがない。まあ私のできることと云えば、こんな所かな」と。
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〔 解説 〕 |
孔子は3才の時に父を失っておりますが、腹違いの兄が一人(孟皮)おりました。孟皮は生れつき足が悪かった為(小児麻痺だったようです)ほとんど力仕事ができませんから、孔子が生活の面倒をみていたようです。仕官の叶わぬ当時の儒家の主な収入源は、庶民の葬儀を取仕切る際の謝礼でした。
貨幣はまだありませんでしたから、干肉や穀物や酒が報酬だったのでしょうが、その酒で乱れを為す人も結構いたのでしょう。「酒の困(みだれ)を為さず」の言葉の裏には、弟子達に「振る舞い酒に溺れるな!酒は飲んでも飲まれるな!!」という含意があったのではないかと思います。孔子は酒は好きだったようですが、乱れることはなかったと郷党第十にありますので、かなり強かったようですね。そのせいでしょうか?儒学をやる人に酒好きが多いのは!?
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「君達、学校では先生の指示によく従いなさい!家庭では親の云うことをよく聞きなさい!困っている友達がいたら見て見ぬ振りをせず、手助けしてあげなさい!親に内緒で買い食いをしてはいけません!!素直で優しく我慢強い子になりなさい」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
こういう文章は、本当に頭が痛くなります。子供は職場の経験がありませんし、葬儀の手伝いもできませんし、酒を飲んで暴れるなんてこともありませんからね。仕方なくこのような意訳となりました。悪しからず。
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