子罕第九 218

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原文             作成日 2005年(平成17年)3月から6月
子見齊衰者、冕衣裳者、與瞽者、見之雖少必作、過之必趨。
 
〔 読み下し 〕
()斉衰者(しさいしゃ)(べん)衣裳者(いしょうしゃ)瞽者(こしゃ)とを()れば、(これ)()(わか)しと(いえど)(かなら)()ち、(これ)()ぐれば(かなら)(はし)る。
 
〔 通釈 〕
孔子は、喪服を着た人と、礼服を着た人と、盲人に会う際は、たとえ相手が年少者であっても、必ず席を立って敬意を表した。又、これらの人達の前を通り過ぎる際は、必ず小走りして敬意を表した。
 
〔 解説 〕

仁の第一段階は「孝弟」・親に孝行目上に弟順ですから、年長者に敬意を表するのは当然ですが、孔子は相手がたとえ年少者であっても必ず敬意を表したのは、一が喪に服している人・二が公務に服している人、ここ迄は分かるとしても、三の盲人の年少者に対して敬意を表したというのは、どういう理由からでしょうか?目が見えないのですから、立って御辞儀をされようが、小走りして前を通り過ぎられようが、相手は分からないと思うのですが。

季氏第十六で、楽師の冕という人が孔子を訪問した時に「ここが階段です!ここがお席です!誰某(だれそれ)はそこに居ます!誰某はここに居ます!」と懇切丁寧に孔子が応対するのを見た子張が、「これが盲人の楽師に対する態度でしょうか?」と問うた際、孔子は、「その通り!」と答えている。

当時の楽師には瞽者が多かったようで、音楽の大家孔子も若い頃、盲人の楽師から手ほどきを受けたり、教わったりと、何かとお世話になったことに恩義を感じていたのではないでしょうか?そんな理由から、相手が楽師であろうがなかろうが、年長であろうが年少であろうが、
瞽者に対して自然に敬意を表するようになった。こういうことは我々にもありますね、伝統文化や社会習慣から、僧侶や医者や教師や判事に対して敬意を表するというのは。おかしなものもありますよ、パトカーを見るとドキッとしたりというのもね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)は、身内(みうち)葬儀(そうぎ)喪主(もしゅ)をつとめた(ひと)(くに)行事(ぎょうじ)進行役(しんこうやく)をつとめた(ひと)()不自由(ふじゆう)(ひと)出会(であ)った(とき)は、たとえ相手(あいて)自分(じぶん)より年下(としした)であっても、(かなら)()ってお()()をし、(まえ)(とお)(とき)はじゃまにならぬよう足早(あしばや)(とお)()ぎた。
 
〔 親御さんへ 〕
古代中国に、イス・テーブル・ベッド等今で云う洋式のライフスタイルが、西域を経由して持ち込まれたのは、前漢の頃と云われておりますから、孔子の時代は床にゴザを敷いて正座していたようです。(毛皮の座布団はあった)

15世紀(明代)に張楷(ちょうかい)という人が史記を基に描いた「孔子画伝」を見ますと、孔子がイスに座り、テーブルに和綴じの紙製本や筆や硯を並べて弟子達に講義している様子が描かれておりますが、孔子の生きた春秋末期には、座り机はあったでしょうが他はすべてずっと時代が下ってから発明されたものばかりです。

この頃は紙も筆も硯もなく、竹簡に箸を尖らせたような棒の先に漆をつけて書き記し、これを皮の綴じ紐で結んだ巻物が書物でした。張楷は知らなかったのか?知っていたが無視したのか?は分かりませんが、孔子の生涯が36枚の絵(但し張楷が自ら描いたものは29枚)に要領よくまとめられておりますから、興味のある方はご覧になって下さい。

 
※ 集英社 加地伸行著 「孔子画伝」
 
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