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原文
〕 作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、鳳鳥至らず、河、図を出さず。吾已んぬるかな。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「今の時代は、鳳凰も舞い来たらず、黄河から版図(はんと)を背負った竜馬(りゅうま)も出ない。愈々(いよいよ)世も末かな?」と。
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〔 解説 〕 |
本章は次の言い伝えを知らないと、通釈しただけでは訳が分かりません。鳳凰とは霊鳥のことで、舜の世に舞い来たり、周の文王の世に都、鎬京(こうけい)近くの岐山(きざん)で鳴いたと云われる。(鳳は雄、凰は雌)
更にそれより遥か昔、太古の伏魏(ふくぎ)の世には、立派な馬が版図(木版地図)を背負って黄河から出たと云われる。(これを竜馬といって、現在神社に奉納する木馬や絵馬のルーツかも知れません)
当時これ以外で瑞兆とされたものに、麒麟(麒は雄、麟は雌)や龍や神仙がありまして、いずれも聖王が誕生する時の瑞兆とされましたが、孔子の時代にはこのようなめでたい兆しが何もなかったのでしょう。
それにしても、生来の楽天家である孔子が、どんな場面でこの言葉を発したのでしょうか?後の225章に「子、川の上(ほとり)に在りて日わく、逝く者は斯の如きか、昼夜を舎(お)かず」とありますが、このあとにポツリと漏らしたのかも知れません。
ところで、昨年来、岐阜県から何人もの方がゲストで聴講に来ておられますが、岐阜の岐は岐山(きざん)から、阜は孔子の故郷曲阜(きょくふ)からとって織田信長が命名したそうですから、岐阜県は昔から論語に縁の深い人が多い所なのでしょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「最近は暗い話題ばかり多くて、ゆううつになってしまうなあ、地震・津波・洪水などなど。まあ天災は避けようがないが、環境汚染・戦争・テロ・拉致・殺人などの人災は、早く止めにしないと神様も堪忍袋の緒が切れて、この地球は人間の住めない星になってしまうかも知れないぞ?もしかしたら、天災は神様の警告かもしれないぞ!?もういい加減にしなさい!!という。元々地球は、皆が愛し合い・信じ合い・睦み合い・分かち合い・尊め合うために神様が造った星なんだからね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
本文から大幅に逸脱した意訳となりましたが、鳳凰や龍馬等想像上の生き物の話をするより、この方が小4になったばかりの孫には理解できたようです。鳳凰や龍や仙人は、アニメ「犬夜叉」の世界の話しと思っているようですね。
前にも述べましたが、古代の中国では、君主が仁政を行えば天帝(造物主)もこれを嘉(よみ)して豊穰をもたらし、悪政を行なえば罰として飢饉をもたらすと信じられておりました。北朝鮮やアフリカの慢性的飢饉と、当該国家元首の暴政を見ますと、一概にこの説を迷信と決めつける訳にもいかんようです。金正日の独裁政治が続く限り、北朝鮮に豊穰がもたらされることはないとしたら、早晩暴動が起きるのではないでしょうか。餓死するのも処刑されるのも死は死ですから、人民は恐れるものが何もなくなります。ルーマニアのチャウシェスクみたいになってしまうのではないでしょうか?金正日は。
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