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原文
〕 作成日 2005年(平成17年)3月から6月 |
顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然、
善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能。既竭吾才。如有所立卓爾。
雖欲從之、末由也已。
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〔 読み下し 〕 |
顔淵、喟然として歎じて日わく、之を仰げば弥高く、之を鑽れば弥堅し。之を瞻るに前に在り。忽焉として後に在り。夫子循循然として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷めんと欲すれども能わず。既に吾が才を竭くせり。立つ所有りて卓爾たるが如し。之に従わんと欲すと雖も、由末きのみ。
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〔 通釈 〕 |
顔淵が溜息混じりに云った、「先生は、これを仰ぎ見れば愈々(いよいよ)高大となり、斬り込んで行こうとすると愈々堅牢となる。ある時は前に在ったかと思えば、忽然として後ろに在るというように、変通自在・融通無碍である。
しかも先生は順序良く段階を踏んで導いて下さる。我々弟子達の知識を博めるには学問を以てされ、学んだことを実践する際には礼を以て秩序立てて導いて下さるものだから、やめようと思ってもやめることができない。
あらん限りの才能を出し尽くしてしまって、自分が一回り成長したような気がしてしまうのだが、先生に一歩近づいたかな?と思っていると、一層遥か彼方に聳え立っておられる。先生につき従って一歩でも近づきたいと思うのだが、とても及びもつかない」と。
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〔 解説 〕 |
「之を仰げば弥(いよいよ)高く、之を鑽(き)れば弥堅し。之を瞻(み)るに前に在り、忽焉として後に在り」は、顔淵オリジナルの言葉ではなく、古語を引用したものであろう?とする説もありますが、いずれにしても孔子の人物像を形容するのにドンピシャリの文言ですね。
以前、孔子の人物・人柄を的確に掴んでいたのは、弟子の中でも顔淵・子貢・曽子の三人位のものではなかったか?と話した事があります。子張第十九で子貢は、「夫子の及ぶべからざるや、猶(なお)天の階(きざはし)して升(のぼ)るべからざるがごときなり」と述べている。
師の人柄を形容する文言としては、子貢の方に軍配が上がりそうですが、仕方がないねこれは。顔淵は元々無口な「徳行の人」、子貢は頭が切れて弁が立つ「言語の人」ですからね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の顔淵がため息まじりにいった、「先生は、仰げば仰ぐほどますます高くそびえ立って、まぶしくて見上げることができない。切れば切るほどますます堅くなって、まったく刃が立たない。今目の前にいたかと思っていると、いつの間にか後ろにいて、我々弟子達を見守って下さっている。先生は一つ一つ順序良く教えて下さる。たとえば、知識を広めるには学問を、経験を広めるには社会のルールを教えて下さる。だから、やめようと思ってもやめることができなくて、力の限り勉強するようになった。少しは成長して先生に近づいたかな?、と思っていると、もうはるかかなたにそびえ立っておられる。先生にはとても及びもつかないよ」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
論語の中で孔子の人間像を最も的確に伝えてくれているのは、顔淵と子貢の孔子評ではないかと思います。後世様々な論評がなされまして、中でもひどいのは「孔子はホモだった」というものです。
偶々(たまたま)そう云う人に出会いましたので、「何かそれを匂わすような文献がありますか?」と問いましたら、「清末の思想家で、李宗吾(りそうご)という人物が書いた『厚黒学(こうこくがく)』という書物に載っている」と云うものですから、「それなら私も持っていて、暇潰しに何度か読んでいるけれど、孔子がホモだったなどとどこにも書いてないですよ。そもそもあれは聖人君子を悉く茶化した、フィクションの娯楽本ですよ!」と云いますと、「すみません、人の受け売りです!」と来た。「あなた論語読んだことあるの?」と問うと、「一度もありません!」と云う。
呉(くれ)智英(ともふさ)さんが「昔は、論語読みの論語知らずというのがいたが、今は、論語読まずの論語語りがいっぱいいる」と、嘆いておられましたが、本当に多いですよ最近、こういうのが。論語くらい知っているような顔をしていないと、格好がつかないとでも思っているんでしょうかねえ?論語は、自分を格好良く見せる為に読むものじゃあないんだよ。自己の修養の為に読むものなんだよね!
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