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原文
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作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
子曰、禹吾無間然矣。菲飮食、而致孝乎鬼神、惡衣服、而致美乎黻冕、
卑宮室、而盡力乎溝洫。禹吾無間然矣。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、禹は吾間然すること無し。飲食を菲くして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕に致し、宮室を卑しくして力を溝洫に尽す。禹は吾間然すること無し。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「夏の禹王には文句のつけようがない。自分の食事は切り詰めて、祖先の祭を立派にした。日頃の衣服は粗末なものをまとい、礼服を立派にした。宮室は質素にして、灌漑工事には労力・費用を惜しまなかった。禹のこのような生き方には、文句のつけようがない」と。
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〔 解説 〕 |
禹 舜の禅譲を受けて夏王朝を興す。中国では「黄河を治むる者は天下を治む」と云う諺があるそうですが、禹は悪戦苦闘の末、初めて黄河の治水に成功した人物です。禹の発明した治水工法は、二重堤防方式だったようで、現在でもこの工法が広く使われておりますから、孔子が「吾間然すること無し!」というのもうなずける気がします。四千年間も通用する技術など、そう滅多にあるものではありませんからね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「夏の国を建国した禹王には、文句のつけようがない。自分の食事や衣服や住まいは質素にして、それで浮いた予算で、お祭りを盛んにし、制服を立派にし、治水工事で川の氾濫を鎮めて多くの人々を救った。自分のことは後回しにして国民最優先に徹した禹王には、文句のつけようがないね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
世界で最初に清酒を飲んだ人は禹だそうです。(それ迄は酢と酒の中間の濁酒(どぶろく))その時の様子を十八史略では次のように伝えています。「儀狄(ぎてき)という男が初めて清酒を作り禹王に献上した。禹は飲んでみて余りの旨さに驚き、『後世必ず酒を以て国を亡ぼす者あらん』と云って、以後儀狄を遠ざけた」とありますが、禹が予言した通り、禹王の末孫桀王は「酒池肉林」で国を亡ぼし、湯王の末孫紂王も又「酒池肉林」をやらかして国を亡ぼしている。確かに酒は「天の美禄百薬の長」でありますが、「気違い水」ともなりますから、程々にしておかないといけませんなあ。何とも耳が痛いね!
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