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原文
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作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
子曰、篤信好學、守死善道。危邦不入、亂邦不居。天下有道則見、
無道則隠。邦有道、貧且賤焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば則ち見れ、道無ければ則ち隠る。邦道有るに、貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦道無きに、富み且つ貴きは恥なり。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「先人の英知を篤く信じて、これを好んで学ぶようにしなさい。命にかけても学んだ善道を守り通しなさい。大義を奉ずるつもりなら、危険な国に足を踏み入れてはならない。又、乱れた国に滞在してはならない。天下に道義がある時には世に出て活躍し、天下に道義が失われた時には隠忍自重する。これが大義を奉ずる者の処世である。国に道義があってよく治まっているのに、貧乏且つ賤しい身分に甘んじているのは恥ずかしいことだ。国に道義が失われているのに、富み且つ高い身分に安穏としているのはもっと恥ずかしいことだ」と。
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〔 解説 〕 |
戦時下のイラクに、自己満足の為だけに行って拉致された、三馬鹿トリオの話をした際、この文章を紹介したことがあります。本当に自分のやっていることが正しいと信じているのならば、「守死善道」・命にかけても善道を守り通して欲しかった所ですが、橋田さんとは人間の格が違っていたのでしょう。橋田さんの奥様も立派です。
高遠奈穂子が全国を講演で飛び廻っていると聞きますが、国及び国民に対して多大な迷惑をかけた事へのお詫び行脚のつもりでしょうか?先日も旧社会党系の市民団体に招かれて、新潟に来たそうですが。自己満足の為に、イラク国民の窮状を訴えて市民にカンパを募る つもりなら、真っ先に資産家のお父っつぁんを説き伏せて、有り金すべてをイラク国民に分け与えたらどうなんですか?それが無理なら、自分の法定相続分を生前贈与してもらって、全額イラク救済に注ぎ込んだらどうなんですか!?又イラクに行きたいというのなら、その前に、小千谷か山古志に来て、一冬ボランティアをやってみなさい!命にかけて善道を守り通すつもりなら!!慈善行為ではなくて、偽善行為だよあれは。
と、義には截然(せつぜん)とした序列があるんですね。これの分からないのを「無明(むみょう)」というんだね。時折、「そんなこと誰が決めたんだ?自分は承服できない!」などとバカなことを云う人に出会わしますが、前にも云いましたけれども、人類の何千年何万年にも渡る伝統文化の中から紡ぎ出された経験則、つまり、先人の英知なんですね、こういうことは。
それがいやだと云うのなら、「それに勝る法則を発明してみなさい!万人が納得できるものを!!」と云う他はありません。先人の英知に学ぶことは大切なんです。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「君達は伝統というものを考えたことがあるかな?伝統とは、長い歴史を通じて培われて来た習慣や制度や儀式の拠り所となる価値観のことだ。国や民族によってそれぞれに違いはあるが、一つだけ共通することがある。それは、どの国もどの民族も自分達の伝統を大切にする!ということだ。なぜ伝統を大切にするかといえば、伝統を無視したり逆らったりした時に、必ず道徳が乱れ国が乱れることを、歴史の経験で知っているからなんだね。国や民族の伝統を大切にすること、これを民族の誇りという。民族の誇りを失ってしまった時に、その国や民族は滅びる。これが歴史の鉄則なんだね。だから君達も、自国の伝統文化を大いに学んで大切にしなさい!」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
この章をどう意訳するのか?興味津々だったのではないかと思いますが、子供達に分からせるには、結局こんな形にするしかありませんでした。通釈文を噛み砕いて小3の孫に何度説明しても、ポカーンとしておりましたので、大幅に加工し直して本文のように説明したら、「フーン、そうなんだ!?」と云っておりましたから、きっと分かってもらえたのでしょう。
たまたま孫の友達が二人来ておりまして、読んで聞かせて「分かるか?」と問うたら、「分かるよ?!クリスマスがそうでしょう?」と来た。ナヌッ?と思いましたが、考えてみれば、ザビエルが日本にキリスト教を伝えてからもう450年になりますから、耶蘇教も日本の伝統文化の鼎の中でグツグツ煮込まれて、換骨奪胎されてしまったのでしょう。
そういえば、最近はキリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げる人が増えた為、チャペルのない結婚式場は流行らないと聞きます。新郎新婦も参列者も、教会の結婚式で歌う賛美歌428番〜430番を知っている人など、あまりいないと思うのですが。日本民族の誇るべき伝統は、「鼎新力(ていしんりょく)」即ち、仏教であろうが儒教であろうがキリスト教であろうが、一度日本の伝統文化の鼎の中でグツグツ煮込んで、いつの間にか日本流のものに仕立て直してしまう所にあるのではないでしょうか。
以前、中庸とはニュートラルなハイブリッド進化論ことである!と申しましたが、別の表現を使えば、中庸とは「鼎新力」のことですね。日本の伝統は鼎新力にあり!ということでしょう。つまり、鼎新力を失った時にこの民族は滅びる、中庸を失った時に日本民族は滅びる、ということです。これは呉々も肝に銘じておかなければなりません。
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