〔
原文
〕
作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也。
君子人與、君子人也。
|
〔 読み下し 〕 |
曽子日わく、以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨んで奪うべからざるなり。君子人か、君子人なり。
|
〔 通釈 〕 |
曽子云う、「亡き先君の遺志を継いで安心して十五六才の幼君の訓育を託す事ができ、一国の命運を任せる事ができ、危急存亡の大事に当っても志しを失うことがない人。こういう人を君子人と云って良かろうか?確かに君子人である」と。
|
〔 解説 〕 |
何だか三国志に登場する諸葛孔明を彷彿とさせる文章です。劉備に出会う前の孔明は、晴耕雨読の人でしたから、きっと論語のこの章を何度も読んでいたのでしょう、劉備の没後世継ぎの劉禅を奉じて、将にこの通りに生きた人物でした。本章は「託孤寄命之章」と称されて、江戸時代特に有名であったと云います。
この章には次のようなエピソードがあります。“加藤清正がかつて人に向かって「前田利家が晩年儒学に志して、わしや宇喜多秀家や浅野幸長(よしなが)を招いて、話しのついでに論語の『六尺の孤を託し百里の命を寄す』の章を挙げたことがあった。
わしは当時、学問をしなかったから、何の意味だかわからなかったけれども、今になって考えてみると悟る所がある。今日この話しを念(おも)わぬ者は、おそらくは不忠不義に陥るだろう」と云った。秀頼(ひでより)を奉じて家康と二条城に会見して無事帰った時、「わしは今日いささか太閤の恩に報ゆることができた」と云って泣いたという”と。
|
〔 子供論語 意訳 〕 |
曽先生が云った、「国を愛する心をきちんと子供達に教え、自らもしっかりとした理想を持ち、外国から脅かされても絶対に屈しない人が本当の政治家だ!と昔から云われているが、これは本当だ!!」と。
|
〔 親御さんへ 〕 |
曽子が云うような本当の政治家は、今どの程度いるでしょうか?国を愛する心を訴え・国家の理想を持ち・諸外国の脅威に屈しない政治家は!?安倍晋三や西村慎悟などはいい線行ってますね。他にこの三条件を満たす若手の政治家がいたら教えて下さい、研究してみますから。ああ、マー姫だけは勘弁して下さい、三条件すべて欠落しておりますからね。
|