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原文
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作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任、不亦重乎。死而後已、
不亦遠乎。
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〔 読み下し 〕 |
曽子日わく、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す、亦重からずや、死して後己む。亦遠からずや。
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〔 通釈 〕 |
曽子云う、「道に志す者(士)は、広い心と強い意志を持たねばならぬ。指導者の責任は重く、進む道は険しく遠いからだ。その重責を担うに当っては、仁の心(利他の心)を根本に据えて臨まねばならぬ。何と重いことではないか。しかもこの重責は死ぬまで続く。何と遠いことではないか」と。
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〔 解説 〕 |
それにしても曽子の言葉は一つ一つが重苦しい。前にも云いましたが、曽子は不器用で愚直一徹の人でしたから、ユーモアのセンスも遊び心もなかったのではないでしょうか?孔子の門下は、ほのぼのとして・ユーモラスで・遊び心のある自由闊達な雰囲気であったようですが、弟子の曽子の門下は、糞真面目で重苦しい雰囲気が漂っていたのではないかと思います。
徳川家康はこの章が大層お気に入りだったらしく、「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し」なる遺訓は、この章からとったと云われます。尚、弘毅(ひろき・心が広くて意志が強い)という男子の名前は、ここからとったものでしょう。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
曽先生が云った、「君達は広い心と強い意志を持って勉学に励みなさい。将来この国を支えて行かなければならない大切な使命を授かっているのだから、責任は重大だ。あせらず・あわてず・あきらめず、思いやりの心を忘れず頑張り抜きなさい!」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
アテネオリンピック以降、「あせらず・あわてず・あきらめず」なる用語が、当会にもすっかり定着してしまったようです。世の中に絶対に失敗しない方法というものがあるとすれば、それは、「成功するまでやり続けること」つまり決してあきらめないことでしょう。あきらめてしまえば、その時点で失敗が確定してしまう、しかしあきらめなければまだ不確定、失敗と決まった訳ではない。成功の芽はいくらでもある。
ただ、失敗にも「良い失敗」と「悪い失敗」があります。失敗したら、失敗の原因をよく反省して改める、つまり、反省⇒改過の伴った失敗ならば教訓となって後に生きてきますから良い失敗。失敗したらしっ放しで、反省もなければ改めようともしない、つまり、反省⇒改過の伴わない失敗は、何の教訓も得られませんから悪い失敗。
良い失敗ならば、成功するまでやり続けたらいい。但し、「過ちて改めざる、これを過ちと云う」とありますから、何度やっても過ちを改めないのであれば、潔く負けを認めてゼロから出直すことですね。いつまでも続けられたら、周りが大迷惑しますから。
尚、このHPをご覧になっている方のお子さん亦はお孫さんに「弘毅(ひろき)」という名のご子息がおられたら、「論語のここからとった名前だよ。心が広く意志の強い子になってもらいたいと思ってね!」と教えてあげて下さい。必ずそういう子に育ちます。有名な所では、戦前の総理大臣・広田弘毅(こうき)がおります。
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