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原文
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作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、
如履薄冰。而今而後、吾知免夫小子。
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〔 読み下し 〕 |
曽子、疾有り。門弟子を召して曰わく、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦々兢々として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。而今よりして後、吾免るるを知るかな、小子。
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〔 通釈 〕 |
曽子が危篤に陥り弟子達を呼び集めて、「夜具を開いて私の足や手を調べてくれ。どこかに傷はないか?詩経に『戦々兢兢として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如くに身体を大切にせよ』とある。私は父母からいただいたこの体を傷つけぬよう大切にして来たが、これでようやく我が身の保全から解放されて、安心してあの世に行けるようだ、お前達よ!」と云った。
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〔 解説 〕 |
曽子が残したとされる「孝経」に、孔子が曽子に告げて「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。敢て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とあります。身体は髪の毛一本から爪先に至るまで、すべては父母から授かったものだから、粗末にしてはいけないという意味で、曽子は終生これを守り通したようです。
先進第十一に「参(しん)や魯」と評されておりますから、曽子はどちらかと云うと融通のきかないノロマというか、愚直一徹のところがあったようですが、この人がいたお陰で孔子教学は、曽子−子思−孟子と伝えられて行くことになります。
論語の中では孔子以外に子・先生と呼ばれているのは、曽参と有若の二人だけ(雍也第六と子路第十三で冉求も二度「冉子其の母の為に粟(ぞく)を請う」・「冉子朝より退く」と子付けで呼ばれているが、冉子曰わくというものは一ヶ所もない)ですから、論語は恐らく曽子と有子の弟子筋が中心となって集録編纂されたものではないかと思われます。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
曽先生が重い病気にかかり、臨終のまぎわに弟子達を枕元に呼んで、「掛布団を取って私の足や手を調べてくれ、どこかに傷跡はないか?私は父母からいただいたこの体を傷つけぬよう大切にして来たが、どうにか無傷でこの体とおさらばする時が来たようだ。健全な精神は健全な肉体に宿るものだから、どうか君達も体を粗末にせず、立派な人間になってくれ!」と遺言を残して息を引き取った。
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〔 親御さんへ 〕 |
最近は何でもかんでも健康志向で、テレビをつけると健康番組のない日はありません。昔から「色心不二」とか「心身不可分」と云われておりまして、身体と心は切っても切り離せないものですから、心が不健康ならば身体も不健康になりますし、身体が不健康ならば心も不健康になる。
それともう一つ、財布が不健康ですと、どうも心も身体も不健康になってしまうんですね、私の場合は、人間が出来ていませんから。ですからこの所ずーっと不健康です。でもまあ案外多いんではないでしょうか?こういう人は。
中には、財布は健康優良児であるにもかかわらず、心が不健康な人も結構いますからね。身体の健康・心の健康・財布の健康は、我々凡人にとっての「健康三位一体論」といった所でしょうか。
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