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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)11月から2005年(平成17年)2月 |
子曰、泰伯其可謂至徳也已矣。三以天下譲。民無得而稱焉。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以て譲る。民得て称する無し。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「周の泰伯は至徳の人物と呼ぶに相応しかろう。君位を継ぐ立場にありながら、固く辞退して末の弟に天下を譲った。然るに世の人々は泰伯が弟に天下を譲ったことすら知らず、泰伯の徳を称える者もいなかったのだ。ここが澹然とした泰伯の至徳たる所以である」と。
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〔 解説 〕 |
泰伯 周の大王の長男で、次弟は虞仲(ぐちゅう)、末弟は季歴(きれき)。季歴の子が昌(しょう)で、後に周の文王となる。この章は通釈しただけでは、何故孔子がこれ程泰伯を褒めているのか訳が分からない。次のような話があります。
大王の孫に当る昌(季歴の子で後の文王)が生まれた時に吉兆があったので、大王は、「周は昌の世に栄えるだろう」と側近に漏らした。これを聞いた泰伯は、父大王は将来孫の昌に跡目を継がせたいのだろうと察して、昌の父である末弟の季歴に君位を継がせようと、次弟の虞仲と話し合って二人で南方に隠れた。
大王が没しても帰らず、季歴が長男泰伯の代りに喪主を務めた。これが一譲。季歴が迎えに行ったが君位を固辞して帰らなかった。これがニ譲。喪が明けると、髪を切り体に刺青をして本物の南人となった。これが三譲。
これにより君位は大王の願い通り、大王→季歴→昌と継承されることとなり、昌(文王)の子武王が紂を討って、周が天下に号令を発することとなった。伯夷・叔斉の故事に見られるように、周は文王の時代既に宗主国殷を凌ぐ実力を持っていたが、君臣の義を固く守って紂王に臣事していた。
泰伯は後に南方の人々の尊敬を受け、呉の始祖となる。述而第七で、魯の昭公が呉子から夫人を娶って呉孟子と称していたこと(同姓不婚の禁忌を犯した)を、陳の司敗に批判されておりましたが、初代魯公・周公旦の父文王(昌)は呉の始祖泰伯の甥に当たります。呉も魯もともに周室の出で、姓を姫(き)と云いますから、陳の司敗はここを突いた訳ですね。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「700年ほど昔の周の泰伯という人は、実に立派な人物であった。殿様の長男だから後継ぎの位にあるのだが、自分よりも末の弟の方が能力・人格とも後継者に相応しいと思っていたので、すぐ下の弟と二人で、行き先も告げず家出をしてしまった。殿様が亡くなったため、しかたなく末の弟が後を継ぎ周は立派な国になった。自分の位にこだわらず、人物本位で国を譲った泰伯のおかげで、周の国は栄えることになった。この態度は立派だね」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
地位や財産を巡る骨肉の争い程醜いものはありませんが、こういう争いは今後日本では殆ど見られなくなるのではないでしょうか? 25年ほど前から出生率が激減しておりまして、昨年度はとうとう1.29人になってしまいました。人口が増えもせず減りもしない「静止人口」の出生率は2.08人だそうですから、わが国ではこれから急激に人口が減って行く。
男女が半々に生まれるとすると、どこの家庭も長男か長女のどちらかしかいない勘定になる。結婚しなくても親の後を継ぎ、遺産を受け継ぐ者は一人しかおりませんから、骨肉の争いなど起きようがない。
結婚したらしたで、一方の家系は途絶え若夫婦は二軒分の遺産を受け継ぐことになる。サラリーマンの最大の借金は住宅ローンではないかと思いますが、日本の若者はこれからは住宅ローンなど組む必要がなくなりますね。親からもらった家を建て替えたいと思ったら、遺産ともう一軒分の土地建物を売ったお金でできてしまうのですから。若者達がフリーターで呑気にしていられるのも、将来住宅ローンの心配がないからなのかも知れません。
骨肉の争いが起きないという点では良いことかも知れませんが、こういうことをやっていたら、若者に活力がなくなって、日本は衰退してしまいますね。日本を衰退させない為には、親は親、子は子と割り切って、自分の葬式代だけ残して、あとはきれいに使いきってしまうことでしょう。「児孫の為に美田を買わず」ですよ、逞しい若者をつくるには。子は自らの力で稼げば良い。遺産はおまけと考えたら良い。
余談になりますが、十年ほど前に県の葬祭業協同組合の顧問をやっておりました時、死亡率にピタリと正比例するある業界の指数を発見してびっくりしたことがあります。皆さん何だか分りますか?建て替え住宅の着工率です。(新規取得の住宅ではない)初めはどんな因果関係があるのか全く分りませんでしたが、よく調べてみたら「なる程!そういうことだったのか!!」と納得致しました。
建て替え住宅の70%近くは、親の遺産で建て替えていたんですよ。父親が亡くなって(大抵は父親が先に逝く)四十九日が済むと、母親を引き取るか自分達が親の家に引っ越すかの相談が始まり、どちらかを選択することになる。片親と同居する訳ですね、どちらか一方の家を売却して。
同居するには家が狭いし、使い勝手が悪い。幸い父の残した遺産があるから、この際使い勝手の良いバリアフリーの家に建て替えよう!となって、一周忌が済むといよいよ着工の運びとなる。この場合も不思議なことに、70%が親の家を建て替えて一緒に住むことになる。(これはあくまでも新潟市の例ですが)恐らく親の家の敷地が子の家の敷地よりも広いのと、親の住み慣れた土地を択ぶからなのでしょう。
知り合いの建築屋が暇にしておりましたので、このことを教えましたら、これはいいことを聞いた!と以来毎日「おくやみ欄」を見て死亡者情報をパソコンに入力し、今では随分といい商売をしています。他の建築屋はこんなことを知りませんから暇なようですが、そいつの所ばかりが商売繁盛で年中暇なし。一体何億稼いだのか、この夏久しぶりにベンツに乗ってやって来て(前はカローラだった)お陰で儲かっていると、デン助とかいう黒々とした変なスイカを持って来た。
我が家はスイカなんか誰も食わんから要らん!それよりそんなに儲かっているのなら、行形亭か鍋茶屋にでも招待しろ!と云ったら、スイカを持ってそそくさと帰ってしまいました。あれからもう四ヶ月も経っているのに、何の音沙汰もありません。吝(けち)な奴はダメだね!何も金をよこせと云っている訳ではないのにね。私は吝薔(けちんぼ)は大嫌いですから、こんな奴にノウハウの独り占めは許しません。
良かったね!このHPを見ている論語好きの建築屋さんは。このノウハウで儲かったら、あなたの町の一番いい料亭にでも招待して下さいね。ああ、支那料理もいいですよ、フカヒレや乾し鮑なんかは大好物ですからね。何だかおかしな〔親御さんへ〕のメッセージになってしまいましたが、たまにはいいでしょう、こんな得をする話しがあっても。
但し、これはあくまでも新潟市のケースですから、そのまま他所に当て嵌るとは限りませんが、どこも似たりよったりではないでしょうか。地方によっては新聞に「おくやみ」情報を載せない所もありますから、そういう所ではどうやって
正確に死亡者情報を取るか?が決め手になるでしょう。いくらでも方法はあります。
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