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原文
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作成日 2004年(平成16年)7月から11月 |
子曰、奢則不孫、儉則固。與其不孫也、寧固。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固し。其の不孫ならんよりは寧ろ固しかれ。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「贅沢すればする程高慢ちきになり、倹約すればする程頑固者になる。どっちもどっちだが、高慢ちきであるよりは頑固者の方がまだ益しだろう」と。
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〔 解説 〕 |
八佾第三44章で孔子は、「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」と述べておりますが、ここではもう一歩踏み込んで、奢った生活を続けていると、知らず知らず思い上がった「贅(ぜい)こき・(尊大ぶる者)」となり、倹約(けちけち)生活を続けていると、知らず知らず頑なな「一概(いちがい)こき・(強情な頑固者)」になるという。これは、なるほどなあ!?と思わされます。
贅沢するにはそれだけの裏付けがなければなりませんが、人は一度華美な味を知ってしまうと、もっともっとと深みにはまって、気がついた時には財産をはたいて丸裸になっていたりする。財産のない者は立場を利用して裏金作りに奔走する(公務員の汚職に見られるように)。贅沢していると、必ずそれに便乗しようとする輩に取り囲まれ、おだてられて、いつの間にか自分が偉なったかのように錯角する。
取り巻きの中だけで尊大ぶっているのならまだ可愛いいのですが、本人は自分は偉くなったと勘違いしておりますから、関係のない第三者に対しても尊大な態度をとるようになる。こうなると「何だ、あいつは!」と、周りの顰蹙を買うことになる。肩書や財産や家柄などは外物ですから、本人の人徳とは何の関係もないのですが、ここを勘違いしてしまうんですね、大方は。
ひどいのになると、本人どころか奥方まで偉くなったと勘違いして、用もないのに夫の仕事場にしゃしゃり出て来る者もいる。大学の学長夫人・病院の院長夫人・宗教団体の教祖夫人なんかに時たまありますね、馬鹿を絵に画いたようなケースが。
逆に度の過ぎた倹約はどうかと云えば、あれもダメこれもダメとやっていると、付き合ってくれる者がいなくなって、段々世界が狭くなって来る。特に信仰深い訳でもないくせに、いつの間にか自分が禁欲主義の求道者にでもなったかのように錯覚して、周囲が汚らわしいもののように見えてしまう。
これが高ずると、自分の世界に陶酔して周りの意見は一切聞かなくなる。井の中の蛙に過ぎないのに、求道者と勘違いしてしまうんですね、ストイシズムにはまると。時々いますよ、こういう人が。倹約は美徳だけれども、倹約し過ぎるのは悪徳だね。金は天下の回り物なんだから。
孔子が「高慢ちきであるよりは、頑固者の方がまだ益しだ!」と云ったのは、高慢ちきは周囲に悪臭を撒き散らすけれども、頑固者は自分のタコ壷にはまっているだけで、周囲に悪臭を撒き散らす訳ではないからまだ益しだろう、ということなのではないかと思います。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「うぬぼれれば生意気になる。殻に閉じこもれば頑固になる。生意気になれば人に嫌われ、頑固になれば人からのけ者にされる。だから君達は、謙虚で柔軟でありなさい!」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
私が漢文に興味を持つようになったのは誠に遅くて35才過ぎてからですが、きっかけは故伊藤肇の「十八史略の人間学」を読んでからでした。全編を読んでみたいと思っていたら、丁度徳間書店から「十八史略・全五巻シリーズ」が出たばかりで、貪るように読み耽ったことを思い出します。
十八史略は、中国五千年前の神話の時代から南宋の滅亡に至る四千数百年間の歴史エポックを、英雄・聖者・賢人・策士・侠客・悪党など、登場人物4517人が入り乱れて必死に生きた人間絵巻のダイジェスト版として編まれたもので、南宋の儒者・曽先之(そうせんし)という人が編纂した書物であります。
江戸時代には殆どの藩が教科書にする程だったと言いますから、どんなに学問嫌いの武士でも、十八史略を読んでいないと相手にされなかったようです。当会HPの愛読者には、是非全編読んで頂きたいのですが、時間のない方は、最近致知出版から故伊藤肇の「十八史略の人間学」が再刊されましたし、同じ致知出版から渡部昇一さんが新たに書き下ろした「十八史略の名言に学ぶ・歴史は人を育てる」が出ておりますので、必ず読んで下さい。
白川静先生の云う、「戦後の日本人が幼稚になったのは、漢文を読まなくなったからだ」という意味がよく分かるのではないでしょうか。否、それ以前に、一丁前面して来た自分の幼稚さを思い知らされて、冷や汗が出るのではないでしょうか。「プルタークの英雄伝(BC1900〜BC30頃迄の英雄列伝)」より面白いのではないかな?
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