述而第七 186

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、君子坦蕩蕩。小人長戚戚。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、君子(くんし)(たいら)かに蕩蕩(とうとう)たり。小人(しょうじん)(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「君子は心が平らかでいつもゆったりとしている。これに対して小人はいつもこせこせくよくよしている」と。
 
〔 解説 〕

蕩蕩とは、穏やかでゆったりした様を云い、戚戚とは、つまらないことにこだわってくよくよする様を云います。卑近な例で云えば、コップ半分の水を見て「まだ半分ある」と思うか、「もう半分しかない」と思うかの違いでしょう。

こせこせくよくよした性格は、心掛け次第でいくらでも直せます。戚戚タイプの人は、自分の置かれた立場や環境が全て!これを失ったら一巻の終わり!!と思い込んでおりますから、全く違った立場や環境で、面白可笑しく活気に満ちて生きている人達の中にブチ込んでやらせてみると、どんなに鈍感な人間でもハッと気が付く、「上には上があり、下には下がある。人間どんな環境でも、結構うまくやって行けるもんだ!」と。

坦蕩蕩とまでは行かなくとも、少々のことがあってもこせこせくよくよしなくなります。詰まりそうになったら、意識的に環境を変えてみるのも一つの手ですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「君達(きみたち)は、のびのびとゆったりした人間(にんげん)なりなさい!こせこせくよくよした人間(にんげん)になってはならない!!」と。
 
〔 親御さんへ 〕
子供にはこう云っておきながら、親がこせこせくよくよしていたらどうしようもありませんから、子供の前では、痩せ我慢してでも堂々とゆったりしていないとね。「形(かたち)から入る」というのも重要で、始めは演技でもしているつもりで続けていれば、いつの間にか形が身についてそれらしくなるものですから、諦めないで頑張ってみて下さい。
 
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