述而第七 184

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子疾病。子路請禱。子曰、有諸。子路對曰、有之。誄曰、爾于上下神祇。
子曰、丘之
久矣。
 
〔 読み下し 〕
()(やまい)(おもき)なり。()()(いの)らんことを()う。()(のたま)わく、(これ)()りや。()()(こた)えて()わく、(これ)()り。(るい)()わく、(なんじ)上下(しょうか)神祇(しんぎ)(いの)ると。()(のたま)わく、(きゅう)(いの)ること(ひさ)し。
 
〔 通釈 〕
孔子が病気で倒れ容態が悪化した。子路が心配して、「祈祷をしましょう」と云った。孔子は、「何かそういう日く因縁でもあるのか?」と尋ねた。子路は、「はいあります。誄(るい)に、汝を天地の神々に祈るとあります」と答えた。孔子は、「なんだ、そういうことか。そんなことなら私は長年やっている。今更改めてやる必要もあるまい」と云った。
 
〔 解説 〕

誄とは、生前の功績をたたえた辞(ことば)。「天神(てんしん)地祇(ちぎ)」というように、天のカミを神(しん)、地のカミを祇(ぎ)と云う。前に、子路はどうもオカルト好きの傾向があったようだと述べましたが、この時も何か呪術のようなことをやろうとしたのではないでしょうか?あっさりと孔子に拒絶されている。困った時の神頼みは、孔子の性に合わなかったようです。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)病気(びょうき)(おも)くなったので、()()心配(しんぱい)して悪魔払(あくまばらい)いをやりましょう」と提案(ていあん)した。孔子(こうし)(さま)が、「どうするのかね?」と()うと、()()は「天地(てんち)神様(かみさま)(いの)るのです」と(こた)えた。孔子(こうし)(さま)は、「なんだそういうことか。そんなことなら(わたし)はずーっと(むかし)から(いの)っているよ。(あさ)()きると“今日(きょう)もすばらしい一日(いちにち)(あた)えていただきましてありがとうございます。今日(きょう)一日(いちにち)神様(かみさま)のお(やく)()たせて(くだ)さい!”。(よる)()(とき)は“今日(きょう)一日(いちにち)貴重(きちょう)体験(たいけん)(あた)えていただきましてありがとうございました。明日(あす)(また)すばらしい一日(いちにち)をお(あた)(くだ)さい。おやすみなさい”とね。(こま)った(とき)だけ神頼(かみだの)みしてもダメなんだよ」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕
南宋の儒者胡寅(こいん)の言葉に、「人事を尽くして天命を待つ」というものがあります。やるべきことをやり尽くしたら、あとは神(天)に全託して結果を待つ、あれやこれやと取り越し苦労をしない、という意味ですが、オカルト好きの人は「人事を尽くさず天命にすがる」・やるべきこともやらないで、一事が万事神頼み。全託する度胸もなく、あれやこれやと取り越し苦労をするようですね。これじゃあいくら心の広い神様でも、願い事など聞いてくれませんよ。「やるべきことをやってからにしろ!」と、叱られるのがオチでしょう。
 
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