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原文
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作成日 2004年(平成16年)7月から11月 |
子不語怪力亂神。
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〔 読み下し 〕 |
子、怪・力・乱・神を語らず。
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〔 通釈 〕 |
孔子は、怪談や剛力無双や猥談や霊魂の話しは、言及しなかった。
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〔 解説 〕 |
前にも述べましたが、この当時今で云うオカルトブームみたいなものがあったようで、弟子の中でも子路にオカルト好きの傾向があったようです。孔子は霊魂や神の存在を否定している訳ではありません。母顔徴在は、神降ろしをする巫女(霊能者)でしたから、神霊現象やオカルトのことは、人よりも詳しく知っていたと思います。知っているのに何故敢えて言及しなかったのか?
子路第十三で孔子は、「南人言えることあり。曰く、人にして恒(つね)無くんば、以て巫医(ふい)を作(な)すべからず。善いかな・(南国の人の諺に『恒心(ぐらつかない心)のない者は、巫女の癒しも医者の治療も効き目がない』とあるが、誠にその通りだなあ!)」と云い、続けて「其の徳を恒にせざれば、或は之に羞(はじ)を承(すすめん)。子日わく、占わざるのみ・(易経に『徳の定まらない人間は、いつも人から辱めを受ける』とあるが、こういうのは占うまでもなく理の当然だ!)」と述べております。
オカルト好きの人間は、前後の見境もなく心霊現象に盲信狂信してしまいますから、益よりも害が多い。トリックを本物と信じて、世の笑いものとなってもまだ懲りずに、次ぎから次ぎへと霊能者をハシゴする。中には邪悪な施術を行なう者もいますから、遂にはこういうのにひっかかって、廃人同様にされてしまう。
孔子はこういうケースを沢山見て来て、危険だ!と感じていたのではないでしょうか。故に、「触らぬ神に祟り無し!」、弟子達にオカシナ事に興味を抱かせないよう、オカルト話しはしなかったのではないかと思います。
先進第十一で、子路が神霊に仕える道を聞いた際、「まだ人に仕えることもよくできないのに、どうして神に仕えることなどできようか」と答え、死後の世界を聞くと、「まだ生きることもよく分からないのに、どうしてあの世のことなど分かろうか」と釘を刺している。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様は、妖怪の話しや・腕自慢の話しや・エッチな話しや・あの世の話しなど、為にもならず役にも立たない話しはしなかった。
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〔 親御さんへ 〕 |
世の中には
(1)なくてはならない物事
(2)あった方が良い物事、
(3)あってもなくても良い物事、
(4)ない方が良い物事、
(5)あってはならない物事
の五通りがある、と、前にお話した事があります。先日ある会合でこの話しをしましたら、「もう少し分かり易く」と云われましたので、
(1)なくてはならない物事とは、人が生きて行く上で、 為になって
(有益)、役に立つ(有用)物事のこと。
(2)あった方が良い物事とは、人が生きて行く上で、為にはならぬが役に
立つ、或は、役には立たぬが為になる物事のこと。
(3)あってもなくても良い物事とは、人が生きて行く上で、為にもならず
(無益)、役にも立たぬ(無用)が、害にもならぬ(無害)物事のこと。
(4)ない方が良い物事とは、人が生きて行く上で、為にもならず役にも
立たないのみならず、ともすると害になる(有害)物事のこと。
(5)あってはならない物事とは、人が生きて行く上で、明らかに害となる
物事のこと。
と答え、「世の中を見回してみると、(3)番と(4)番すれすれの物事が実に多いですね」と一言添えましたら、「テレビのワイドショーは殆どがこれだ!」という声が挙がったかと思うと、「イヤ、週刊誌もそうだ!」・「宗教もそうだ!」・「官僚もそうだ!」・「政治家もそうだ!」等々、収拾がつかなくなりましたので、「ではあなた自身はどうですか?」と投げかけたら、シーン!となってしまいました。
人のことは何とでも云えますが、自分のこととなると、みんな棚に上げてしまうんですね。あなた自身が(3)あってもなくても良い人、(4)ない方が良い人すれすれだったら、どうするんですか?
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