述而第七 170

上へ


原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子不語怪力亂神。
 
〔 読み下し 〕
()(かい)(りょく)(らん)(しん)(かた)らず。
 
〔 通釈 〕
孔子は、怪談や剛力無双や猥談や霊魂の話しは、言及しなかった。
 
〔 解説 〕

前にも述べましたが、この当時今で云うオカルトブームみたいなものがあったようで、弟子の中でも子路にオカルト好きの傾向があったようです。孔子は霊魂や神の存在を否定している訳ではありません。母顔徴在は、神降ろしをする巫女(霊能者)でしたから、神霊現象やオカルトのことは、人よりも詳しく知っていたと思います。知っているのに何故敢えて言及しなかったのか?

子路第十三で孔子は、「南人言えることあり。曰く、人にして恒(つね)無くんば、以て巫医(ふい)を作(な)すべからず。善いかな・(南国の人の諺に『恒心(ぐらつかない心)のない者は、巫女の癒しも医者の治療も効き目がない』とあるが、誠にその通りだなあ!)」と云い、続けて「其の徳を恒にせざれば、或は之に羞(はじ)を承(すすめん)。子日わく、占わざるのみ・(易経に『徳の定まらない人間は、いつも人から辱めを受ける』とあるが、こういうのは占うまでもなく理の当然だ!)」と述べております。

オカルト好きの人間は、前後の見境もなく心霊現象に盲信狂信してしまいますから、益よりも害が多い。トリックを本物と信じて、世の笑いものとなってもまだ懲りずに、次ぎから次ぎへと霊能者をハシゴする。中には邪悪な施術を行なう者もいますから、遂にはこういうのにひっかかって、廃人同様にされてしまう。

孔子はこういうケースを沢山見て来て、危険だ!と感じて
いたのではないでしょうか。故に、「触らぬ神に祟り無し!」、弟子達にオカシナ事に興味を抱かせないよう、オカルト話しはしなかったのではないかと思います。

先進第十一で、子路が神霊に仕える道を聞いた際、「まだ人に仕えることもよくできないのに、どうして神に仕えることなどできようか」と答え、死後の世界を聞くと、「まだ生きることもよく
分からないのに、どうしてあの世のことなど分かろうか」と釘を刺している。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)は、妖怪(ようかい)(はな)しや・(うで)自慢(じまん)(はな)しや・エッチな(はな)しや・あの()(はな)しなど、(ため)にもならず(やく)にも()たない(はな)しはしなかった。
 
〔 親御さんへ 〕

世の中には

  (1)なくてはならない物事
  (2)あった方が良い物事、
  (3)あってもなくても良い物事、
      (4)ない方が良い物事、
  (5)あってはならない物事

の五通りがある、と、前にお話した事があります。
先日ある会合でこの話しをしましたら、「もう少し分かり易く」と云われましたので、

   
 (1)なくてはならない物事とは、人が生きて行く上で、 為になって
        (有益)、役に立つ(有用)物事のこと。

   (2)あった方が良い物事とは、人が生きて行く上で、為にはならぬが役に
          立つ、或は、役には立たぬが為になる物事のこと。

  
 (3)あってもなくても良い物事とは、人が生きて行く上で、為にもならず
       (無益)、役にも立たぬ(無用)が、害にもならぬ(無害)物事のこと。

   (4)ない方が良い物事とは、人が生きて行く上で、為にもならず役にも
         立たないのみならず、ともすると害になる(有害)物事のこと。

  
 (5)あってはならない物事とは、人が生きて行く上で、明らかに害となる
         物事のこと。

と答え、「世の中を見回してみると、(3)番と(4)番すれすれの物事が実に多いですね」と一言添えましたら、「テレビのワイドショーは殆どがこれだ!」という声が挙がったかと思うと、「イヤ、週刊誌もそうだ!」・「宗教もそうだ!」・「官僚もそうだ!」・「政治家もそうだ!」等々、収拾がつかなくなりましたので、「ではあなた自身はどうですか?」と投げかけたら、シーン!となってしまいました。

人のことは何とでも云えますが、自分のこととなると、みんな棚に上げてしまうんですね。あなた自身が(3)あってもなくても良い人、(4)ない方が良い人すれすれだったら、どうするんですか?
 

述而第七 169 述而第七 170 述而第七 171
新論語トップへ