述而第七 158

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原文                  作成日 2004年(平成16年)7月から11月
子曰、不憤不啓、不悱不發。擧一隅、不以三隅反、則不復也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(ふん)せずんば(けい)せず、()せずんば(はっ)せず。一隅(いちぐう)()げて、三隅(さんぐう)(もっ)(かえ)らざれば、(すなわ)(また)せざるなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「問題意識をもって自ら取り組もうという情熱ない者は、ヒントを与えてもピンと来ない。解決の糸口を見出そうと粘り強く努力する根気のない者は、何を教えても身につかない。喩えて云えば、四角いものの一隅を教えたら、あとの三隅を試行錯誤しながら解明する位の意欲がなければ、何一つものにならないのだ」と。
 
〔 解説 〕

同じことを学ぶにしても、問題意識を持って学ぶのと、うすぼんやりと学ぶのとでは、その結果に於て雲泥の差が生じて来ます。更に問題意識を持つにしても、正しい問題意識を持つか、誤った問題意識を持つかによって、その人物の涵養に於て月と鼈(すっぽん)の差が出て来る。正しい問題意識を持てば、その時点でもう答えの半分が出たようなものです。一方誤った問題意識を持ったら、益々迷路にはまり込み問題を増幅させてしまう。

この章から「啓発(けいはつ)」という言葉が生まれますが、啓も発もともに「ひらく」という意味です。ひらくが二つ重なっておりますから、一つ開くと次から次へと連鎖反応が起きて、意識の拡大作用が起こることになる。これが「啓発」の真の意味です。

では、意識の拡大作用を引き起こす起爆剤は何か?と云えば、これが正しい問題意識なんですね。誤った問題意識では起爆しないんです。だから迷路にはまり込んで堂々巡りを繰り返す。どこも何も開きませんからね。新約マタイによる福音書に「求めよさらば与えられん。
(たず)ねよさらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」とあって、真理はいつも開かれるのを待っているのだが、正しく叩かなかったら門は開かない。これと同じことなんですね、正しい問題意識を持つというのは。

間違った叩き方では真理の門が開かないのと同様、間違った問題意識では、意識の拡大
作用は起こらない、叡智の宝庫の扉は開かないんです。最近どうも問題解決の糸口が見つからん!迷路の出口が見つからん!仕事でも家庭でも!?という方は、誤った問題意識で取り組んでいるのではないか?反省してみてはいかがでしょうか。正しい問題意識で取り組んでいれば、糸口くらいは必ず見つかるものなんです。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「やる()のない(もの)(おし)えてもかいがない。元気(げんき)のない(もの)(おし)えても張合(はりあい)いがない。根気(こんき)のない(もの)(おし)えても効果(こうか)がない。だからやる()元気(げんき)根気(こんき)のない(もの)は、弟子(でし)にとらないことにしているんだよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子でなくとも、やる気と元気と根気のない者の指導は、ご免こうむりたいのではないかと思いますが、世の中にはこういう子供達を専門に、何とか立ち直らせようと命がけで指導に当たっている立派な人物がおります。「師友塾」塾長で「国際アカデミー学院」院長の大越俊夫先生がその人です。詳しく知りたい方は、「6000人を一瞬で変えたひと言」(サンマーク出版)をお読みになって下さい。胸を打たれます。
 

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