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原文
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作成日 2004年(平成16年)4月から7月 |
樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。問仁。
曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。
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〔 読み下し 〕 |
樊遅知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし。
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〔 通釈 〕 |
門人の樊遅が知について問うた。孔子は、「人として為さねばならぬことを実行し、神仏には畏敬の念を以て臨むが、興味本位で近付いて何でもかんでも神頼みにしないこと。これが知というものだ」と答えた。
次に樊遅が仁について問うと、孔子は、「仁者というものは、人の嫌がることを率先して行い、報酬は後回しにする。これが仁者というものだ」と答えた。
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〔 解説 〕 |
樊遅 姓は樊 名は須 字名は子遅(しち)。孔子に「小人なるかな樊須や」(とぼけた男だなあ、こいつは)と評された人物でちょっとピンボケの所があったようです。
この章では知と仁について、子供に言い聞かせるように語っておりますが、顔淵第十二でも樊遅が知と仁について質問しておりまして、孔子が「仁とは人を愛することだ。知とは人を知ることだ」と答えたら、知については「樊遅未だ達せず」つまり、理解出来なかったとある。
樊遅は専ら孔子の御者を務めていたようですが、弟子の中にも彼のようにボーケーッとした人物が登場して来ると、読者としてはちょっとホッとしますね。しかしピンボケだけではなかったようで、左伝哀公十一年の条を見ますと、魯が斉と戦った際、志願した樊遅を見た季孫氏が「樊遅は若過ぎて使いものにならないのではないか?」と云ったところ、先輩の有若は「年は若いが命に奉ずる男です!」と答えておりますから、勇敢な所もあったようです。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の樊遅が知について質問した。孔子様は、「人として正しいことを行なうよう努力しなさい。努力しなくても教祖の写真を拝めば救われる・献金すれば救われる・ペンダントをつければ救われるなどという、宗教には近づかないようにしなさい。インチキ宗教だからね、そういうのは。インチキを見破る力、これを知恵というのだよ」とおっしゃった。更に樊遅が仁について質問すると、孔子様は、「人の嫌がることを率先して行いなさい。やる前からご褒美に何くれる?お小づかいいくらくれる?などと卑しいことを云ってはいけません。お返しをあてにせず奉仕する。これが仁というものだ」と答えた。
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〔 親御さんへ 〕 |
孔子の頃にも怪しげな宗教が流行っていたようで、論語の中でも数個所で弟子達に「興味本位で近づくな!」と警告している。肉体を救済するのが医者とすれば、魂を救済するのが宗教家ということになろうかと思いますが、宗教は目に見えない世界(暗在系)の真理を説いておりますから、教義の正邪を判断しろ!と云われても、これが中々分かり辛い。
そこで、教義を云々しなくとも、その宗教が本物か偽物かを簡単に見分ける、三つの方法をお教えしましょう。(こんなことを云われたら嫌だろうね、インチキ教祖は)
一、教祖の経歴を見る
教祖の無謬化・絶対化・神聖化が起きていないか?人間に生まれて完全無欠な者など一人もいないのだから、誰でも滑ったり・転んだり・失敗したりする。「聖人の千慮にも一失あり」ですからね。教祖がまだ存命のうちから、無謬化・神聖化が起きている宗教は偽物と見て良い。無謬化・神聖化は、教祖が死んだ後、弟子達によって為されるものであって、教祖自身が自らを無謬化するなどは言語道断。又、教祖の経歴に詐称があれば、文句なしのインチキ。
二、教団の運営方針を見る
衆生救済の目的が、いつの間にか教団の維持拡大にすり換わっていないか?つまり、手段の目的化が起こっていないか?もっと分かり易く云えば、金集めと教祖の知名度を上げることが教団の目的になっていないか?献金を強要したり・教祖の本を何冊も買わせて配らせたり、写真やペンダントや祭壇やお札を買わせたりしていたら、偽物と見て良い。
三、信者達の素行を見る
その教団に所属する信者達は、皆ちゃんとした社会生活を営んでいるか?信者の中から、社会的にも一目置かれている人材が輩出しているか?正しい教えを奉じていれば、人格も自然に磨かれて、人々から一目も二目も置かれるようになるものだ。信者集団が薄気味悪かったり、強圧的な態度をとるようであれば、偽物と見て良い。在家の信者が定職にもつかず、真っ当な社会生活を営んでいないような宗教はダメ。勿論ご利益ばかり強調するような宗教は、間違いなくインチキ。さあどうですか?ヒヤリとしたりドキリとした方もおられるのではないでしょうか。
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