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原文
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作成日 2004年(平成16年)4月から7月 |
子曰、誰能出不由戸。何莫由斯道也。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、誰か能く出ずるに戸に由らざらん。何ぞ斬の道に由ること莫きや。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「人は誰でも出入りするのに戸口を通らぬ者はいないというのに、どうして人として踏み行うべき道を通ろうとしないのだろうか」と。
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〔 解説 〕 |
では、人として踏み行うべき道・「斯の道」とは何か?と云えば、これが再三再四述べている五つの実践徳目、仁・義・礼・智・信なる五徳ですね。これも何度も云っているように、孔子自身が述べたものではなくて、前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)が「五常(ごじょう)」としてまとめたものであります。
更に、論語を百回くらい読んでみた結果から、私は、仁・義・礼・智・信なる五徳は同列・並列ではなくて、「徳はすべて仁ベース」つまり、仁あっての義・仁あっての礼・仁あっての智・仁あっての信である!と感得した訳です。
仁とは人を思いやる心、つまり利他の愛・与える愛のことですが、これが人の踏み行う道の根本(土台)である!という確信は、以後一度も揺らいだことがありません。
当会が発足したのは今から12年前、私が45才の時ですが、論語から「徳はすべて仁ベース」であると教えられたことは、今世最大の収穫だったように思います。そうでなかったら、未だに仁に根ざさぬ義を振り回して正義面をし、仁に根ざさぬ礼を振り回してその場しのぎの愛想を振り撒き、仁に根ざさぬ智を振り回して人を蹴落とし、仁に根ざさぬ信を振り回してバール信仰(ご利益宗教)にはまっていたかも知れません。
バブルがはじけてからの10年間を「失われた十年」と云う人もおりますが、私達「論語に学ぶ会」のメンバーにとっては、「涵養の十年」であったと云えるのではないでしょうか。ひと月にたった2時間の例会(学習時間)に過ぎませんが、「塵も積もれば山となる」の格言の如く、合同例会の時間も含めれば10年×12回×2時間=240時間、一日1時間の学習時間を取ったとすると、延べ240日間に相当する。
これは、土日祭日を除いた一年間、毎日一時間ずつ論語を学んでいた勘定になる。毎日一時間、一年間読み続けた本など他にないでしょう?今迄に。それだけでもちょっとしたものなんですよ、皆さんは!
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「家を出入りする時に出入口を通らない人は誰もいないのに、人としてやらなければならない奉仕活動をどうして避けようとするのだろうか?」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
奉仕活動は相手を生かす・人を生かす為にやるものであって、自己満足したい為にやるものではありません。だから自己満足が動機のボランティアは偽善だと云うのです。
相手を生かす・人を生かす、これは仁の第三段階「忠恵(ちゅうけい)」・忠(まめ)やかで恵み深いことであります。忠(まめ)とは、誠実なこと・真心がこもっていることの意ですから、忠恵とは「真心で奉仕する・人に尽くすこと」と考えて良いでしょう。
孔子は「真心で奉仕すること」が、どうして人として通らなければならない道と云ったのでしょうか?仁とは利他の愛・与える愛であると、何度も述べて参りました。そして、仁にも五段階の階悌があると申しましたが、
第一段階「孝悌」・親に孝行目上に悌順とは、養い育ててもらう側が養い育ててくれる側に対する畏敬の気持を、態度で表すものですから、これは厳密に云えば、与える愛というよりは、寧ろ下位者(年少者)の上位者(年長者)に対する「依存の愛」というものに近い。
第二段階「恭敬(きょうけい)」・恭しく敬(つつし)み深いとは、交友に於けるマナーや切磋琢磨の姿勢と考えて良いかと思いますが、これも厳密に云えば、与える愛というより「ギブアンドテイクの愛」に近い。
第三段階「忠恵(ちゅうけい)」・忠(まめ)やかで恵み深い、つまり、人を生かす仁、ここからが本格的な仁・利他の愛・与える愛、「奉仕の愛」と云えるのではないでしょうか。
第四段階「寛恕(かんじょ)」・心が寛(ひろ)く人を恕(ゆるす)、つまり、人を許す仁、これは仁のプロフェッショナル、与え続ける「献身の愛」と云えるでしょう。
第五段階「忠恕(ちゅうじょ)」・衆生済度人類救済、人を救う仁、ここまで来るともう仁の塊そのもの、与え尽くす「神の愛」とも云えるでしょう。
仁という言葉は論語に五十数箇所出て来ますが、孔子は「仁者」と認めているのは、どうも第三段階「忠恵」以上の体現者を指すようです。恵みの中でも最高最大のものは、教育する・教え育むこと、これは本人の一生の宝になります。物や金はその場限りですからね、与えても。仁の第三段階「忠恵」が、人の上に立つ者・リーダーとしての最低要件と考えて良いでしょう。
人を生かす仁・真心で奉仕する気持・人に尽くす気持のない者が、リーダーシップをとったり人を教えたりするから、世の中おかしくなってしまうんですね。智だけ突出してもダメなんですよ、指導者は。しっかりと仁に根ざしていなければ。
孔子は、小賢しく屁理屈を捏ね回して得意になっている人々を見て、本章のような言葉を漏らしたのではないでしょうか?「お前達は本当に分かって云っているのか?」と。真に自分を生かそうと思ったら、先ず人を生かすことです。人を生かして初めて大きな仕事が成し遂げられるんですね。立派な指導者・優れたリーダーは、例外なく「人生かし」の名人です。
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