雍也第六 136

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原文                   作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子曰、不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、祝鮀(しゅくだ)(ねい)()らずして、宋朝(そうちょう)()あるは、(かた)いかな、(いま)()(まぬが)れんこと。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「祝鮀のような弁才がなく、宋朝のように美貌だけが取り柄というのでは、この乱世に政治家として生き抜いて行くのは難しいなあ」と。
 
〔 解説 〕

祝鮀 祝は衛の祭祀を司る官名、鮀は名、字は子魚。衛の大夫で、雄弁を以て霊公を輔けた。宋朝 宋の公子で名は朝、大変な美男子であったという。宋出身の南子(なんし)(後出)は、霊公に嫁ぐ前から宋朝と通じており、嫁いだ後も霊公をたぶらかして宋朝を衛の大夫に迎え入れさせ、密通を続けていた。

衛では、宋朝が南子の情人であることは周知の事実だったようで、顰蹙をかっていたので
しょう。孔子も衛に滞在していた時に、何度か宋朝に会った筈ですから、「この男は、容貌以外には何の取り柄もない男だ」と、見抜いていたのではないかと思います。「色男、金と力は無かりけり」という俗諺がありますが、丁度そんな所だったのかも知れませんね、宋朝は。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(えい)(くに)家老(かろう)祝鮀(しゅくだ)のように、弁舌(べんぜつ)相手(あいて)説得(せっとく)するだけの(さい)(のう)もなく、(そう)(くに)若様(わかさま)宋朝(そうちょう)のようにカッコ()さだけが()りの人物(じんぶつ)であったら、この戦乱(せんらん)時代(じだい)()()いて()くのは、(むずか)しいだろうね」と。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子が生きた春秋末期は戦乱の時代でありましたから、いつ災難に巻き込まれるか、予断を許さぬ状況下にありました。従って、自分で自分の身を守る術(すべ)を心得ていなければ、まともに生きて行けない時代であったと考えて良いでしょう。

では、自分で自分の身を守る術の第一条は何か?泰伯第八で孔子は、「危邦には入らず、乱邦には居らず」と弟子達に教えている。つまり、戦争当事者でも関係者でもない者が、危険な国に入ってはならん!混乱した国に滞在してはならん!!ということです。

これが自分で自分の身を守る為の第一条ということですが、それでもなお危険な国に行きたい!混乱した国に滞在したい!というのであれば、最悪の事態即ち、災難に巻き込まれて殺されるかも知れないこと位は覚悟しておけ!!ということですね。自由意志でやることについては、あくまでも自己責任でやれ!人様に迷惑をかけるな!ということです。

権利には義務が、自由には責任が伴うことくらい、小学校で教わることでしょう?今回イラクで人質となった3人+2人の五名は、全部が全部国命を帯びて行った訳でも、公的任務を命ぜられて行った訳でもない、全くの個人の自由意志で行って拘束された。

ですから、最悪の事態を想定した上での100%自己責任であることは、誰の目にも明らかなことです。(北朝鮮に拉致された人達とは根本的に違います)救出する為に20億かかったとも30億かかったとも云われておりますが、これ国民の税金でしょう?

いくら被害者とは云え、個人的な都合・手っ取り早く云えば、自己満足の為にしでかしてしまったことに対して、どうして国民の税金を使わねばならんのか?五人を救出する為に30億かかったとすれば、一人当り6億でしょう?サラリーマンの一年間の平均的な所得税は60万円位でしょうから、一人を救出する為に千人分の税が投じられたことになる。

本人の都合とは関係無く、会社の都合でリストラされて、収入のあてがなくなった人は何万人もいる。子供の授業料が払えなくなって、短大や大学を中途退学せざるを得なくなった人達が何千人もいるんです。この人達に、一人当り100万円ずつ支給したら、3000人もの人達がとりあえず急場をしのげるのではないでしょうか?納税者としては、こちらの方を望むでしょう。

社会党の福島瑞穂は、「自己責任を云々することはおかしい!」と語っておりましたが、一体どこまで甘ったれたら気が済むのか?日本政府に「宋襄の仁」をやれという気なんでしょうか!?個人の自由意志でヒマラヤに登って遭難してしまった人の家族が、「救ってくれ!!助けてくれ!!」と、政府や国民に向かって叫んでいる姿など、見たことがないでしょう。救援の費用は、すべて自己負担じゃないですか、登山は。家族の誰かが遭難すると、身上が潰れる位かかるんでしょう?登山家は百も承知で、万が一の覚悟をして行ってるんですよ、山に。

福島瑞穂は、登山で遭難した人も税金で救え!とでも云うつもりかねえ?自分で自分の身を守る為の第一条は、「危邦には入らず、乱邦には居らず」つまり、身を持すること!これがコモンセンス(常識)なんですよ、どこの国でもいつの時代でも。それでもどうしても危邦・乱邦に行きたい!と血が騒ぐのであれば、遺言状を書いてから行きなさい。自己満足に過ぎないものを、ボランティアやNPOという隠れ蓑で覆って、偽善行為をすることはやめなさい!
 

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