雍也第六 135

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原文                    作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子曰、孟之反不伐。奔而殿。將入門、策其馬曰、非敢後也。馬不進也。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、孟之(もうし)(はん)(ほこ)らず。(はし)りて殿(でん)す。(まさ)(もん)()らんとして、()(うま)(むち)うちて()わく、(あえ)(おく)るるに(あら)ざるなり。(うま)(すす)まざるなり。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「孟之反は実にシャイな男(はにかみ屋)だ。負け戦の殿(しんがり)を立派に務めたが、功を誇ることもなく、城門に入ろうとした際馬に一鞭当てて『進んで殿(しんがり)を務めた訳ではない。この馬の足が遅かっただけのことだ』と云ったそうだ」と。
 
〔 解説 〕

敗走する軍隊の殿は、最も敵に狙われ易い危険な任務です。その大役を立派に務めたにもかかわらず、「馬の足が遅かっただけ」と云ってのけた孟之反とは、いかなる人物だったのか?左伝哀公十一年の条に、その時のエピソードが一行程載っているだけで、人物像については何も書かれておりません。

シャイな人には何んとなく好感を覚えますが、孔子も好きだったようですね。生意気でずうずうしいことを「チーキー」と云いまして、これは人に嫌われます。シャイは人に好かれ、チーキーは嫌われる。これは万国共通のようです。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃつた、「()家老(かろう) 孟之(もうし)(はん)は、魯軍(ろぐん)戦争(せんそう)()けて退却(たいきゃく)する(とき)一番(いちばん)危険(きけん)最後(さいこう)()(まも)って全員(ぜんいん)無事(ぶじ)帰還(きかん)させた。入城(にゅうじょう)する(さい) (うま)(ひと)(むち)()てて『志願(しがん)して最後(さいこう)()(まも)ったのではない。(うま)(つか)れて(まえ)(すす)まなかっただけのことだ』と()れながら()ったそうだが、手柄(てがら)(ほこ)らない謙虚(けんきょ)さは立派(りっぱ)だね」と。
  
〔 親御さんへ 〕

はにかみ屋のことを「シャイ」と云い、生意気でずうずうしいことを「チーキー」と云います。子供がはにかんでもじもじしたりすると、「もっとハキハキしなさい!」と叱ったりしますが、ずうずうしく出しゃばるよりはいいんですよ。云いたいことの半分も云えず、ポッと赤くなってもじもじしているのを見ると、助け船を出してやりたくなるでしょう?逆に、ずうずうしく出しゃばっているのを見ると、うんざりするでしょう。チーキーよりもシャイの方が、人に好かれるんです。

はにかみ屋は無理に直さんでもいい。年をとれば、放っておいても相応にずうずうしくなり
ますから。あの梨果園だって、半世紀前には「荻窪小町」と呼ばれてシャイで通っていたんですからね、善福寺池界隈では。ああ、これはホームページに載るのか・・・。まあいいや、

千葉方面でこのホームページをご覧になっている方がおられましたら、一度覗いてみて下さい、「丹之蔵(たんのくら)」という粋なお店を。そこに行けば会えますから。

心配要りません、一目でそれと分かります「荻窪小町」は。ホームページを見た!と云って下されば、生ビールくらいサービスしますよ。何だかコマーシャルみたいになってしまったね。
 

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