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原文
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作成日 2004年(平成16年)4月から7月 |
子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂、回也不改其樂。
賢哉回也。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「えらいもんだなあ回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさ苦しい路地裏の荒屋(あばらや)に住んでおる。普通の人なら貧乏に堪えられず、愚痴をこぼす所であろうが、回は愚痴一つ云わず楽しそうに暮らしている。大したもんだ回は」と。
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〔 解説 〕 |
願回は、「赤貧洗うが如き」生活をしていたようで、栄養不良から、二十才の時既に髪が真っ白だったと云います。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「偉いもんだなあ願回は。雨漏りのする家で、一杯のごはんに一杯のみそ汁だけという貧しい生活にもかかわらず、学問に打ち込んでいる。普通の人はもっと良い家に住みたい、もっとおいしいものを食べたいと不平を云うだろうが、願回は不平一つ云わず、結構楽しそうに暮している。大したもんだね願回は」と。
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〔 親御さんへ 〕 |
123章でも述べましたが、願回は41才の若さで亡くなっております。一杯のごはんと一杯のみそ汁だけでは、いかに気力気力といった所で、体力がもたんでしょう。体力が衰えて来れば、気力も自然に衰えて来る。「人間の本質は魂であり、肉体は乗り舟に過ぎない」と云っても、肉体をないがしろして良いということではありません。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのも真実ですから、健康管理も大切です。
釈迦が麻麦(まばく)の行を終えて山里に降りて来た時、村娘からすすめられたミルク粥を食べて、涙を流して悟ったと云います。「肉体を極限まで痛めつける難行苦行の中に悟りはない。極端な安楽の中にも悟りはない。平凡な現実の中にこそ悟りの縁(よすが)がある」と。
これが有名な「中道の悟り」ですね。免疫学の権威・安保(あぽ)教授は云う、「無理し過ぎてもダメ、楽し過ぎてもダメ。無理はガン、楽はデブ。ほどほどが肝腎!」と。
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