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原文
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作成日 2004年(平成16年)4月から7月 |
伯牛有疾。子問之。自牖執其手、曰、亡之、命矣夫。斯人也而有斯疾也。
斯人也而有斯疾也。
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〔 読み下し 〕 |
伯牛、疾有り。子、之を問う。窓より其の手を執りて日わく、之を亡ぼせり、命なるかな。斯の人にして而も斯の疾あるや、斯の人にして而も斯の疾あるや。
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〔 通釈 〕 |
門人の伯牛が癩病に感染して床に伏した。孔子はこれを見舞い、窓越しに手をとって、「何とも理不尽なものよなあ。これも天命によるものかなあ。こういう立派な人がこのような病にかかるとは。こういう立派な人がこのような病にかかるとは」と云って愛弟子を慰めた。
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〔 解説 〕 |
伯牛 姓は冉 名は耕 字は伯牛。十哲の一人で徳行の人。原文には癩病とはありませんが、「之を亡ぼせり」と云っている所を見ると、当時の医術では治る見込のない病に犯されていたのでしょう。又、窓越しに見舞ったとありますから、感染する恐れのある病気でもあったのでしょう。そう思って病名を癩病とさせてもらいました。
孔子の死生観は、「死生命あり、富貴天にあり」即ち、人の生死も富貴も天命によるものであって、人間の力ではいかんともし難いものがある、とする一種の諦観であります。孔子が伯牛に「命なるかな」と云ったのは、「哀れな奴よなあ」という意味ではなくて、「天命は誰も避けることができない。死んだら魂(こん)は天に還り、魄(はく)は地に還るのだから、何も心配はいらないよ」と、引導を渡してやったのではないかと思います。
当時、人の死後については「魂魄(こんぱく)」という思想があって、魂(たましい)は天に還り、魄(にくたい)は地に還ると考えられておりました。人が死ぬと、遺族が屋根に登って、天に向かって大声で死んだ人の名前を呼ぶ風習があったようです。魂を呼び戻そうとしたのかも知れません。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
弟子の伯牛がハンセン病に感染して重態となった。孔子様がお見舞に行って、窓越しに伯牛の手をとって「間もなくお迎えが来るが何も心配することはない。肉体は死んでも魂は永遠不滅だから、お前はきっと天国に還るだろう。これだけ立派な人生を送ったのだから。これだけ立派な人生を送ったのだから」と、繰り返しおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
特効薬の「プロミン」が発明されてから、ハンセン病は不治の病ではなくなりましたが、人類は随分長い間この病に悩まされて来たようです。少し前、九州の何と云うホテルでしたか名前は忘れましたが、ハンセン病の病歴を持つ団体客の来館を拒否したニュースが報道され、こてんぱんに批判されておりました。このニュースを見た時に、自分がもしホテルの経営者だったらどうするだろうか?逆に、断られた客側だったらどうするだろうか?と、しばらく考え込んでしまいました。
ホテル側にしてみれば、プロミンは確かに特効薬で、ハンセン病の諸症状を劇的に緩和させるが、かと云って癩菌そのものを消滅させるものではない。絶対に感染しないという保証はないし、万が一ということも考えられる。サービス業は多分に人気稼業的な側面があるから無責任な噂でもばらまかれたら、商売は上がったりになってしまう。差別することは確かに良くないが、背に腹は換えられない。商売上がったりで従業員を路頭に迷わせる訳には行かないし、さてどうするか?
一方拒否された客側からすれば、長年差別され隔離されて理不尽な扱いを受けて来た。感染の可能性なし!と厚生省からお墨付きをもらい、晴れて旅行にも行けるようになった。長年の苦悩から漸く解放されたというのに、こんな扱いがあって良いものか!そもそも自分の責任でこの病気にかかった訳ではないのに、どうしてこれ以上悲しませるのだ!何十年ぶりの楽しい旅行を台無しにしてしまうのか!?
さあ皆さん、どう考えますか?どちらにもそれなりの言い分と理がありますから、どちらかが一方的に悪いと決め付ける訳には参りません。義と義が衝突した時、小義・中義・大義と分けられる場合は、小義<中義<大義の判断がつきますが、つかない場合はどうするか?大変難しい問題です。実はこの時に、仁の深さが試されているんですね。つまりこういうことです、「利と利が葛藤した時には義に拠るべし!義と義が葛藤した時には仁に拠るべし!!」と。
何の罪もないのに不治の病に犯され、散々苦しく悲しい思いをして来て、漸く特効薬で癒された。感染の可能性なし!とお上から太鼓判を捺(お)され、楽しみにしていた旅行にも出かけられるようになった。おっかなびっくり世間の目を気にしながらも、喜びに胸を膨らませて行った旅先で、宿泊を断られるなんて・・・。こんなに悲しく悔しいことはないでしょう。こういう人をこそ最優先にもてなしてあげるのが、サービス業(奉仕)の使命なんですね。
噂ばかりを気にするのは、サービス業ではなくてタレント稼業です。「よくいらっしゃいました。精一杯のおもてなしをさせて頂きます!」と、どうして云えなかったのでしょうか。いやいや他人事ではありません。仁の深さを試される場面は、私達の身の廻りにいくらでもあります。
「利を見ては義を思え!義を見ては仁を思え!!」と、肝に銘じておきたいものです。義と義がぶつかると、最期は殺し合い(戦争)になるんですよ。仁と仁がぶつかることは絶対にありません。お互いに引き寄せ合いますからね。
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