雍也第六 127

上へ


原文                    作成日 2004年(平成16年)4月から7月
子曰、回也其心三月不違仁。其餘、則日月至焉而已矣。
 
〔 読み下し 〕
()(のたま)わく、(かい)()(こころ)三月(さんがつ)(じん)(たが)わず。()()(すなわ)()(つき)(いた)るのみ。
 
〔 通釈 〕
孔子云う、「顔回は、常に利他の心(仁)を忘れることはなかったが、他の者達は、たまに利他の気持ちになっても、すぐに我が出て自己本位 に戻ってしまうのだ」と。
 
〔 解説 〕

平成16年4月4日の「報道特集」で、昨年の暮れテロリストに襲われてイラクで殉職した、奥克彦さんの追悼番組が報道されていましたが、その中で、奥さんが外務省の同僚や後輩達に云い続けていた言葉として、「援助する側の論理ではなく、される側の身になって援助せよ!」というものが紹介されておりました。

自分の都合ではなく、相手の身になって考える、これが利他行(仁)の根本でありますから、外務省にもこういう立派な人物がいたんですね。衛霊公第十五に、「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すことあり」とありますが、奥克彦さんこそは、「志士仁人・高い志を持った仁者」と云えるのではないでしょうか。11月に召還辞令が出たそうですが、「今日本に帰る訳には行かん!」とイラクに残って命を落としてしまった。立派な志士(さむらい)ですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
孔子(こうし)(さま)がおっしゃった、「(がん)(かい)はいつも(ひと)(おも)いやる(ゆさ)しい生徒(せいと)だったが、(いま)生徒(せいと)(たち)は、たまに(ひと)(おも)いやることはあっても、すぐ()(まま)()って、自分(じぶん)のことしか(かんが)えなくなるんだよ」と。
 
〔 親御さんへ 〕
「論語開眼」で、仁とは与える愛・利他の愛のことだと申しました。もらう愛や利己の愛は、仁とは云わんのですね。「自分のことばかり考えず、半分は人のことも考えろ!」と云いたくなる時ありませんか?半分とは行かなくとも、二割位は人のことを考えて行動したら、もっといい世の中になると思うのですが、いかがでしょうか。周りの目を気にし過ぎる必要はありませんが、少し位は気にしてもらいたい人結構いますよ。
 
雍也第六 126 雍也第六 127 雍也第六 128
新論語トップへ