公冶長第五 105

上へ

原文         作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子貢曰、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。
 
〔 読み下し 〕
()(こう)()わく、夫子(ふうし)文章(ぶんしょう)()()くべきなり。夫子(ふうし)(せい)天道(てんどう)とを()うは、()()くべからざるなり。
 
〔 通釈 〕
子貢云う、「先生が、文物制度や人の踏み行うべき道について語られることは、よく拝聴することが出来たが、先生が、人間の霊性や万物創世の仕組について語られることは極めて希で、滅多に聴くことができなかった」と。
 
〔 解説 〕

目に見える世界を「明在系」と云い、目に見えない世界を「暗在系」と云って、孔子は明在系の真理を説き、老子は暗在系の真理を説いた。これは使命の別があったからで、真理の道・人間完成の道から見るならば、孔子教学対老子教学の対立的構図として捉えるべきではなく、孔老一対と捉えるべきである!と、前に述べたことがあります。子貢がこの章で云っているように、孔子は目に見えない世界(暗在系)については、弟子達に殆ど語らなかったようです。

朱子の集注(しっちゅう)には、「子貢は滅多に聞けない孔子の性と天道の奥義を聴いて嘆美した」(程子)とあって、学問の進んだ者に対してだけ奥義を伝えたけれども、まだその地位に達しない者に対しては高尚な話しはしなかった、と解するものもありますが、述而第七で孔子は「二三子、我れを以て隠せりと為すか。吾は隠す無きのみ。吾行うとして二三子と与にせざる者無し。是れ丘なり」と、自分は包み隠さずありのままをお前達に曝け出している、と述べておりますから、特別に頭のいい者だけを選んで奥義を伝授したとはちょっと考えにくいですね。

孔子と同じ頃インドでは、釈迦が盛んに人間の霊性や輪廻転生やカルマの法、つまり、暗在系の真理を無学文盲の人々に説いて廻っていた訳ですから、当時のインド人は頭が良くて、中国人は頭が悪かったなどということはないでしょう。先進第十一で子路が霊魂や死後の世界について問うた際、孔子は「未だ人に事(つか)うること能わず、いずくんぞ能く鬼(き)に
事えん。未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と、ピシャリと答えておりますから、子貢の云うように、孔子は目に見えない世界の話しは殆どしなかったのでしょう。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()(こう)()った、「(わたし)先生(せんせい)から、()()える世界(せかい)(はな)しについては沢山(たくさん)うかがったが、()()えない世界(せかい)(はな)しについては、(ほとん)()くことがなかった」と。
 
〔 親御さんへ 〕
孔子はあの世(目に見えない世界)については殆ど語らなかったようですが、かと云って無神論者・唯物論者だった訳ではありません。大変に理性的な人でしたから、言葉で説明のできないこと・検証や追体験のできないこと・自己コントロールできないことについては、敢えて語らなかったのではないでしょうか。

孔子が天帝(天の主宰者)や鬼神(きしん・神や霊魂)の存在を信じていたことは、論語の中からはっきりと読み取れます。孔子の母・顔(がん)徴在(ちょうざい)は巫女(みこ)さんで、神降ろし(神霊を身にのりうつらせること)や神託(神のお告げを授かること)を生業(なりわい)とする、今で云う霊能者でした。

孔子は霊能者の母の元に育ちましたから、この世ならざる超常現象のようなものは良く知っていた筈ですが、何故弟子達には何も語らなかったのでしょうか?これは全くに私の臆断ですが、そういうことに興味を持って深入りする人達の中には、気が狂ってオカシクなってしまう人が多くいたので、「触らぬ神に祟りなし!」と深く肝に銘じたのではないか?

オウム真理教やパナウェーブのような狂信者が出たら困りますから、敢えてそういう世界のことには触れないようにしたのではないかと思いますが、どうでしょうか?
 
公冶長第五  104 公冶長第五 105 公冶長第五  106
新論語トップへ