公冶長第五 104

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原文        作成日 2004年(平成16年)2月から3月
子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也非爾所及也。
 
〔 読み下し 〕
()(こう)()わく、(われ)(ひと)(これ)(われ)(くわ)うることを(ほっ)せざれば、(われ)(また)(これ)(ひと)(くわ)うること()からんと(ほっ)す。()(のたま)わく、()や、(なんじ)(およ)(ところ)(あら)ざるなり。
 
〔 通釈 〕
子貢が、「私は自分が人からされたら嫌だと思うことは、人に対してもしないようにしたいと思います」と云った。孔子は、「賜よ、それは今のお前にはちょっと出来そうもないことだな」と答えた。
 
〔 解説 〕

孔子にしては何とつれない返事でしょうか。日頃「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と聞かされていた子貢としては、かなり意気込んで発言したものと思われますが、「今のお前には無理だな!」と一蹴されている。憲問第十四に、「子貢、人を方(たくら)ぶ。・子貢はよく人を批判した」とあり、頭が切れて弁の立つ子貢は、辛辣に人を批判する悪い癖があったと、史記は伝えておりまして、恐らくこの時も、辛辣な人物批判をやっていたのではないでしょうか。

その後ですぐこの発言があったものですから、本当は「このバカ者!たった今人の嫌がることをやっていたではないか!!」と云いたい所でしたが、ぐっとこらえて「お前には無理だな」となった。そうでもなけらば、「それはいい心掛けだ。その気持を忘れるなよ!」位のことは云っていた筈です。「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と、口で云うのは簡単ですが、実践するとなると、これ程難しいこともちょっと他にありません。

ダンテの言葉、「地獄への道はいつも善意で舗装されている」じゃないけれど、知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪の方が断然多い生き物ですからね、人間は。人様のことはよく分かるけれど、自分のこととなると、盲同然ですからね、我々凡人は。「人の振り見て我振り直せ!」ですね。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)()(こう)が、「(わたし)自分(じぶん)(ひと)からされたら(いや)なことは、(ひと)にもしないようにしたいと(おも)います」と()った。孔子(こうし)(さま)が、「(くち)()うのは(かん)(たん)だが、お(まえ)はすぐ(ひと)にやり(かえ)(わる)(くせ)がある。立派(りっぱ)なことを()(まえ)に、まずその(わる)(くせ)(なお)しなさい!」と(こた)えた。
 
〔 親御さんへ 〕

子貢は顔回ように温厚ではなく、かと云って宰我のように薄情でもなく、仲弓のように重厚でもなく、子路のように勇猛でもなく、樊遅(はんち)のようにとろくもなく、冉求のように引っ込み思案でもない。頭が切れて弁が立つのは分かったが、では一体どんな人だったのだろうか?その人物像は?

子貢は子路に次いで登場回数の多い人物で、全部で三十箇所位ありましょうか。そのうちストレートに孔子から誉められているのは、例の「切磋琢磨」の所位のもので、他は子路同様殆どが孔子に叱られるか、諭されるか、皮肉られるかしておりますが、私は、孔子を最も良く理解し・敬愛し・尽くした弟子は、実はこの子貢だったのではないかと考えておりましたら、呉(くれ)智英(ともふさ)先生が、昨年11月に出された「現代人の論語」という本の中で、実に明快に子貢の人物像を語っておられる。

  
一に曰く、「理想ある実務人」
  二に曰く、「冷静な歴史認識」
  三に曰く、「師の最良の理解者」と。
これはいい本ですから、是非読んでおいて下さい。


    *文芸春秋 呉智英著 「現代人の論語」1,100円
 

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