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原文
〕 作成日 2004年(平成16年)2月から3月 |
子曰、吾未見剛者。或對曰申棖。子曰、棖也慾。焉得剛。
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〔 読み下し 〕 |
子日わく、吾未だ剛なる者を見ず。或る人對えて日わく、申棖と。子日わく、棖や慾あり。焉んぞ剛なるを得ん。
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〔 通釈 〕 |
孔子云う、「真に意志の強い者は見当らんなあ」と。或る人が、「門人の申棖はどうですか?」と云った。孔子は、「いや、棖はまだ私欲が抜け切っておらん。私欲がある限り、いざという時に意志は揺らぐものだ。どうして剛者といえようか」と答えた。
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〔 解説 〕 |
申棖(しんとう) 姓は申 名は棖 字は周。申棖がどんな人物であったかは分かりません。剛とは、意志が強いとか芯がしっかりしているという意味ですが、孔子は、私欲があるうちは、いざという時に意志は揺らぐといいます。孔子は「富みと貴きとは、是れ人の欲する所なり」と云って、物欲も名誉欲も否定してはおりませんが、私欲となると別物であります。
私欲とは、「自分さえ良ければ」とする欲望のことですから、いざとなると、裏切り・抜け駆け・詭弁・欺瞞を生んでしまう。人間は、この「いざという時」が肝腎でありまして、平穏無事の時には見せなかった正体を曝け出すのも、「いざの時・一大事に遭遇した時」であります。
いざという時に物事に動じない人物を称して「度胸が坐った人」或は「胆力のある人」といいますが、度胸が坐るには、修羅場をくぐってみたり、危難に身を投じてみたりして精神を鍛錬しないことには、中々「覚悟」というものが決まらんでしょう。
覚悟とは、心の整理をつけるみことですから、私心や私欲があったら整理どころか余計混乱するばかりなんですね。自己保身が先に立ってしまって。従って、孔子の云わんとする「剛なる者」とは、私心や私欲を放擲して⇒覚悟を決め(迷いをふっ切り)
⇒度胸を据えて物事に臨むことの出来る人、これを「剛者(ごうしゃ)」・真に意志の強い人(芯のしっかりした人)と云うのである!となりましょうか。難しいですね、剛者となるには。
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〔 子供論語 意訳 〕 |
孔子様がおっしゃった、「本当に芯のしっかりした人はいないものだね」と。これを聞いたある人が、「門人に申棖さんがいるではありませんか?」と云った。孔子様は、「棖はちゃっかりした所があるから、本当のしっかり者とは云えないね。ちゃっかり屋はいざという時にあてにならんものだよ」とおっしゃった。
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〔 親御さんへ 〕 |
抜目なく立ち回る人のことを「ちゃっかり屋」と申しますが、孔子は、ちゃっかり屋はいざという時あてにならない・頼りにならないと云います。何故でしょうか?ちゃっかりしているというのも能力の一つではないのか?人に遅れを取らない為の大切な資質ではないのか?ちゃっかり屋の方がいつも得をするのではないか?と思われるかも知れません。しかし、残念ながらそれは誤解です。
ちゃっかり屋が結果的に損をするのです。そうですねえ、単純なモデルを使って整理してみましょうか。今仮りに1うっかり者、2しっかり者、3ちゃっかり屋の三人がいるとして、イ.うっかり村、ロ.しっかり村、ハ.ちゃっかり村の三つの村に一通り住んでみたとすると、どんな結果になるでしょうか?
1. うっかり者が イ.うっかり村に住むと
⇒うっかり同士で安心して住めるから・・・・・・・・・・・・○
1. うっかり者が ロ.しっかり村に住むと
⇒しっかり者に守られてちゃんと生活ができるから・・・・・・・○
1. うっかり者が ハ.ちゃっかり村に住むと
⇒ちゃっかり屋にしてやられっ放しで安心して住めないから・・・×
2. しっかり者が イ.うっかり村に住むと
⇒のんびりと気楽に住めるから・・・・・・・・・・・・・・・・○
2. しっかり者が ロ.しっかり村に住むと
⇒しっかり同士で安心して住めるから・・・・・・・・・・・・・○
2. しっかり者が ハ.ちゃっかり村に住むと
⇒出し抜かれないようちゃんと予防措置を講じて住むから・・・・○
3. ちゃっかり屋が イ.うっかり村に住むと
⇒抜目なく出し抜いて住めるから・・・・・・・・・・・・・・・○
3. ちゃっかり屋が ロ.しっかり村に住むと
⇒出し抜き・抜け駆け・ちょろまかしは許されないから住めない・×
3. ちゃっかり屋が ハ.ちゃっかり村に住むと
⇒ちゃっかり同士上には上があって戦々恐々、
気の休まる暇がないから住めない・・・・・・・・・・・・・×
これを表にしてみると
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イ. うっかり村 |
ロ
.しっかり村 |
ハ
.ちゃっかり村 |
結果 |
うっかり者 |
○ |
○ |
× |
二勝一敗 |
しっかり者 |
○ |
○ |
○ |
三戦全勝 |
ちゃっかり者 |
○ |
× |
× |
一勝二敗 |
ちゃっかり屋が得をすると思っていたものが、実は、一番損をする結果となりました。ちゃっかり屋はここでは一勝二敗となっておりますが、貴重な一勝を恵んでくれた「うっかり村」にだって長くは住めません。憎まれ嫌われて追い出されてしまいますから、最終的には三戦全敗となってしまいます。ちゃっかり屋は目先得をするように見えても、長い目で見れば一番損をするようになっているんですね。
この世は、うっかり・しっかり・ちゃっかりが混在している社会ですから、しっかり者で生きるに越したことはありませんが、ちゃっかり屋よりもうっかり者の方が得をするなんて知らなかったでしょう。ふと気がついたのですが、うっかり者・しっかり者という言葉はあるのに、どうして「ちゃっかり者」という言葉がないのでしょうか?どうしてちゃっかり屋と屋がつくのでしょうか?
辞書を引いてみましたら、「屋」を接尾語に使う場合は、「あなどりやからかいの気持を込めて人を呼ぶ語」とありましたので納得。日本では、昔からちゃっかりしている人は嫌われていたんですね。
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