公冶長第五 102

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原文          作成日 2004年(平成16年)2月から3月
宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可也。於予與何誅。子曰、
始吾於人也、聽其言而信其行。今吾於人也、聽其言而觀其行。於予與改是。
 
〔 読み下し 〕
(さい)b()(ひる)()ぬ。()(のたま)わく、朽木(きゅうぼく)()るべからず、糞土(ふんど)(しょう)()るべからず。()(おい)てか(なん)()めん。()(のたま)わく、(はじ)(われ)(ひと)()けるや、()(ことば)()きて()(おこな)いを(しん)ず。(いま)(われ)(ひと)()けるや、()(ことば)()きて()(おこな)いを()る。()(おい)てか(これ)(あらた)む。
 
〔 通釈 〕

宰我が昼寝をした。これを知った孔子は、「朽ちた木には彫刻のしようがない。腐った土塀には上塗りのしようもない。宰予のような奴には何を云っても無駄だな」と云った。

更に言葉を継いで「今迄私は人に対して、その言葉を聴けば、そのまま実行されているものと信じたが、今後は言葉だけでなく、その行いをじっくり観察してから決めることとしよう。宰予に懲り懲りさせられてから、人の見方を変えることにしたのだ」と云った。
 

〔 解説 〕

孔子がこれほど厳しく云う位ですから、宰我は講義中に転寝(うたたね)をした程度のことではないでしょう。講義をさぼって、女を引っ張り込んで淫らなことをしていたのだ、とする説もありますが、孔子をこれほど怒らせるのですから、恐らくそれに近いことをやっていたのではないかと思います。

これ程の厳しさであっても、宰我が破門された形跡はありませんし、言語の人として彼の弁才を高く評価していた所を見ますと、この偏った性格は将来必ず禍を招くであろうと慮って、人一倍厳しく躾ようとしたのではないでしょうか。

宰我は後に斉の臨輜(りんし)の大夫となりますが、孔子が心配した通り、田常(でんじょう)の謀反に加担して一族皆殺しにされてしまいます。孔子はそのことを知って終生の恥としたといいますから、気掛かりな弟子だったのでしょうね。

宰我程ではありませんが、当会にも以前「昼(ひる)寝(い)ぬ生徒」がおりまして、講義の途中ならばいざ知らず、「波動を整えましょう!」と瞑目(めいもく)した途端に眠り込んでしまうんですね。初めの十分位はスースーと片道イビキなので邪魔にならんのですが、十分を過ぎると往復イビキが始まる。

ある時なんか、自分のイビキでびっくりして目が覚めたのでしょう、いきなりガバッ!と立ち上がって、「顔を洗って来ます!!」と云ったかと思うと、トイレに直行。戻って五分もしないうちに又往復イビキと相成る。イビキ位で破門する訳にも行きませんので、今はちょっと休会してもらっておりますが、インターネットをやっているそうですから、そちらを見てくれるように伝えておきました。

当会のホームページを開いた途端眠り込んでしまった・・・、なんてことになったらちょっと危険ですね、鍋を火にかけている時などは・・・。ああ、これは急いで連絡しておきましょう、「論語のホームページを開く前に火の用心!」と。誰か?ですって?云えませんよ名前なんか。何しろ当会のホームページには毎日百人以上の訪問者があるのですから、名前なんかだせば、途端に有名人になってしまうじゃないですか、この人が。かわいそうだよ、そんなことをしたら。一応学ぶ気はあるんだからね。子供の頃の「本を開くと眠くなるものだ」というエピソード記憶が、長い年月をかけて「勉強=睡眠」という意味記憶に変換されてしまったんでしょうね、この人の脳には。たまにいるんですよ、こういう人が。
 

〔 子供論語  意訳 〕
弟子(でし)(さい)()授業中(じゅぎょうちゅう)居眠(いねむり)をした。これを()孔子(こうし)(さま)は、「お(まえ)何度(なんど)()ったら()かるのかね!何度(なんど)()われても()からん(やつ)は、(くさ)った()土塀(どべい)(おな)じで、()てられるだけだ!もっと勉強(べんきょう)集中(しゅうちゅう)しなさい!もう二度(にど)とは()わんぞ!!」と(かみなり)(おと)した。そして、「(くち)では(なん)とでも()えるが、実行(じっこう)(ともな)っていなかったら(なん)にもならん。(だれ)信用(しんよう)してくれなくなるものだ。口先(くちさき)だけで()(まわ)ろうとする(さい)()将来(しょうらい)(おも)いやられるな」とおっしゃった。
 
〔 親御さんへ 〕

孔子の弟子達は実に多士済々でありまして、それなりに皆強烈な個性をもっておりますが、その中でも宰我は相当の変わり者で、孔子に注意されたくらいでは、「ハイ」と素直に聞くような男ではなかったようです。陽貨第十七で宰我は孔子に「あいつは薄情者だ(予の不仁なるや)」と云われております。

宰我は十哲の一人で言語の人と云われますが、良く云えば徹底した合理主義者、悪く云えば仁の根っこから断ち切られた知の持ち主・冷酷非情な「利己知の人」だったのかも知れません。仁に根ざさない知は、どんなに明晰であっても不毛です。
 

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